市議会議員は稼業(生業)と言えるか

                          市議会議員 佐 藤 壽三郎


 市町村議員とは、戦前は「地域の名士や資産家だけが就ける名誉職」であった。この名残りは現在も残ることは町村議員の報酬をみれば頷ける。市町村の職員は全国一律であるのに、何故町村議員の報酬が市議に比較して斯も差があるのであろうか?

 町村は地方自治法で「議会の代替性」を認めているが、それにしても議会設置をその町村が選んだ以上、片手間報酬では済まされない。審議する内容や議会の権能が同じであるならば、地方議員の報酬は同一でなければなるまいが、一向にそのような意見も出てこない。議員からは発言できない状況下にある。詰るところ、戦後60年も経つのに、議会は戦前の「議会は刺身のつま」感覚なのである。

 我々市議会議員の中にも「地域の名士や資産家だけが就ける名誉職」と、今でも思っている議員が居ることは確かだ。この傾向は町議、村議になればなるほどその色合いは濃意と言える。

 なぜか?・・・・・・
 市議にあっては、専従議員になることを憚られる議員が多い。何故ならば殆どが兼業であり、専門性を問われればこれと言った専門性を市民に訴える自信がないからかも知れない。行財政等に専門知識を有しない議員ほど、「議員の報酬は低額で良い」と有権者に迎合するキライがある。己を低評価されるのは一向に構わないが、他人を同レベル視されては迷惑である。私は19歳の春上京し政治家になるために苦学をした自負があるからです。

 町村議員にあっては、余りにも町村議会議員の報酬が低額であることが一番の要因である。低額報酬に甘んじながらも地域の柵や既得権益を護り、地域のエゴをそっくり引受けての選挙をせねばならない事情があるからだろうか。候補者に名乗りをあげること自体が、部落の前哨戦での予備選挙であり、何段階かのふるいで落とされ候補者として残る。選挙出馬の公示日に得票数が読みきれる選挙が未だに為されている村会議員選挙こそ、戦前の名残りを色濃く残す「地域の名士や資産家だけが就ける名誉職」と言えまいか。

 村会議員や町会議員になっても、片手間報酬では生計が建てられない。換言すれば適正な議員活動が保証されない。必然兼業となるが「二足のわらじ」とはよく言ったもので、同じ人が両立しないような二種の業を兼ねることは詰まるところ「虻蜂取らず」となる。必然、議員の年齢は高くなる。地方分権時代に対応した議員活動を果たして片手間議員でことが足りるであろうか・・・・・・

 民主主義政治の手法が多様化してきているが、私は大変このことに疑義を感じる。「法に因って保障されている手法(制度)でなければならないが、現行制度である議会を軽視した風潮が「新風」として持て囃されている向きもある。無手勝流の民主主義を唱えられても、そこに普遍性や公平・平等性或は信頼性、復帰権が担保されない手法は、所詮ルール違反であって遠望したときに政治の主権者たる住民のためにならない。政治は「通りゃんせ」であってはならない。何故なら通りゃんせは、行きはよいよい、帰りは怖いと、決してリターンを保障していないことを知らねば・・・。

 怖いのは、制度の取り崩しは容易だが、取り崩されたものの復帰は、中々簡単に出来ない怖さである。「自由・平等・博愛」は今も盛んに唱えられている。こんなに自由がありながら何故しつこく唱えるのか?これらのものは、実は氷砂糖の如き脆いものであって、国民が常に猜疑心をもって見張っていなければ、一夜で溶解してしまう代物であると、自由を流血との引き換えて奪い取った英国や仏国国民は知っているからではないか?

 議会の役割は万能とは思わないが、議員の使命は行政の監視役であること以上に、現代の民主主義の手立て(制度)を守る役目を負っていることを思うとき、議員の資質を上げることは「議員活動に専従できる環境を整える」ことが市民としての責務であろう。思うに国会議員は稼業と言える。県議も稼業と言える。知事や市町村長も稼業と言える。市町村議員に対する住民の声は『片手間で諒とする』ところに、日本の民主主義の未熟さを感じてならない。



平成18年2月27日記す。