須坂市議会の課題と遠望


                         市議会議員 佐 藤 壽三郎


 私は提唱で一として「市議会の復権」を掲げております。
 わが国は「議会制民主主義」制度を布いていること事実であります。言わば「間接民主主義」を布いているのですが、どうもこの「議会の制度上の位置づけ」について、最近は一部の市民に議会軽視の兆候があるようにも感じます。

 1)戦前の地方議会の名残とも言える、片手間議員や名誉職議員が蔓延っていた弊害が、議会は何もできないとする「議会への失望」を増長させたのでしょうか?
 2)高学歴社会の構築によって、専門性の裏付けのない議員が、恰も専門家の如く一般質問で質す内容に、次元の低さを感じている節もあります。
 3)立候補し議員になってみたけれど、最も重要な法律(条例)文書を解読出来ず、無気力が必然的に「片手間」や「名誉職」議員に陥り、柵(しがらみ)や既得権に何ら異議を唱えられない弱さに失望している節もないではなりません。

 【私は、議員に必要なことは、専門知識を携えて公約を掲げ、政治信条を抱き是々非々の議員活動の保障こそが、「議会の機能の復権」と考えております。私は仲間の議員と共に、超大型体育館建設案を阻止した実績がありますが、今後も是々非々が言える議員でありたいと願っております。】

 二に、地方自治の形である二元代表制と、これに基づく市長対議会の力関係の洗い直しであります。地方分権一括法により国家から市長に権限が移行されましたが、地方自治という相関関係からすれば、相対的に地方議会の権限強化がなされてしかるべきであるのに、その辺の法整備が等閑と思えます。

 寧ろ、首長と議会の格差は広がるばかりと申せます。議会が真に現代の地方自治において遺憾なくその役目(権能)を果たすための具体策を議会自らが叫ぶべきであります。

【私は、議会運営委員会等で、政府に対し地方議会の権限強化について、地方議員にも免責特権を与える意見書を提出するよう提唱しておりますが、議会存亡の危機感が普く市議にあるかと言えば疑問で、いつも「時期尚早」として賛同が得られておりません。】

 三として、住民自治と地方議会のあり方が問われていますが、分権時代の市議会議員は、遠望する洞察力と、現下を取り巻く情報の収集力、情報分析能力、法案として条文を練り上げる政策立案能力等が求められると感じます。

 これに呼応した議員を選出できる選挙方法、例えば全市1区としないで、中学校ごのと4選挙区に分けて中間選挙区を布く等、選挙の度に同じ会派の仲間と同士討ちするような選挙が果たして良いのかも議論すべき課題であると思います。

 【私は、市議会が会派制を布くならば、大選挙区でなく中間選挙区か小選挙区を導入して、市議会が布く会派制が意味を成すと発言を繰り返していますが、議員自身が理解を示されません。】


 要は、議会が市民の意思の代弁者として、その職分を十分に発揮できないならば、議会制度それ自体の存在が市民に問われ、議会制民主主義を布く歴史的経緯を解しない市民からは、短絡的に「議会不要論」が斗出すると思われます。議会制民主主義の原則を廃止することは時の勢いがあればそれも可能でしょう?

 然し、打算的な或は思いつきの発想で世論の名を以って全てを萎縮或は廃止が行われれば、それと引き換えに市民は、もっとも脆い「自由」を失うことを忘れてはなりません。

 
 ある会合で、某議員が「今の市議会で市議会議員の資質に叶う議員は誰もいません!」と自分の等閑・片手間議員を棚に挙げての発言に、居合わせた議員が唖然とした場面もありました(発言した議員こそが、実は一番の片手間議員ではないかとの陰口も聞けるからです)。
 
法律の基礎を学んでいない人が、親の七光りや思惑で議員になっても、条例(法律)を審議すること自体が、実は無免許運転で車を運転するようなもので土台無理であると感じます。

 法律用語を解せない人が自由を叫びます。「自由」の重みを知らない人たちの意見が巾を利かせる世情は、議会制民主主義や法治国家が溶解してしまうのではないでしょうか。



平成18年2月25日記す。