平成24年7月16日
 
いじめは重大な人権侵害として捉えるべきです。
                               
須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎
 
 いじめの抜本的解決方法がTV等で様々に論議されています。注目すべきは、元首長(知事経験者や市長経験者)の指摘や捉え方の評論に説得力がありますね。自治体の執行者として現場で陣頭指揮した経験を語られるのは、机上理論とは異質なものであり実体験からの発言は真実性と語られる内容も論理的で説得力がある。全国の視聴者も同様の評価をされているのではないかと感じます。


 いじめと言う言葉は極めて抽象的で概括的な表現です。肉体的いじめや精神的いじめ、これらいじめの構造を考えた場合に、経験上捜査権限のない者の寄り集まりや協議は何ら解決にはならない。保身に長けた関係者に中立の立場を貫くことに期待できるかと言えばノーである。いじめというオブラートのような表現では済まされない実情が潜んでいることを我々は真摯に知るべきです。


 いじめの対象者は幼児から高齢者、更には障害者やありとあらゆる人々に及んでいる。広義に記述するならば人間以外の動物まで及んでいると言える。即ち生ある生きもの全てが持ち合わせる、嫉妬であり憎悪であり僻みにほかなりません。


 加害者と言うべき児童や生徒は、集団でしか行動ができず、群れから外されるを極端に怖れている人種と言えます。なぜならば群れから脱することは、即被害者に立場が変わるからであります。この人は生涯をいじめの加害者側に居たのではないかと思われる御仁も偶に見かけます。果て果てこの御仁は懲りることを回避しながらいじめを繰り返してきたものと思えるが、私は聊かも勇者とは思えず、寧ろき悲しむべき輩の人と感じます。やはり社会的地位、年齢、財力や知力に関係なく鉄槌を下すべきものと考えます。幼児期に或いは児童期に、徹底していじめは人間にとって卑劣な行為であることを仕込むことを忘れてはならないと思います。


 今回の大津市で発覚したいじめは凄惨極まりない。いじめと言うよりも犯罪行為の繰り返しであり、躊躇することなく集団暴行事件として捉えるべきである。トイレでリンチを受けていることを目撃した女子生徒が先生にことの事実と救済を求めた行為は、勇気ある行動と讃えるべきものである。(結果的に自殺した少年は)理不尽な加害行為に反撃したと言える。言わば「正当防衛」としての身を守るための行為であったことを認めるべきであります。


 問題はこのいじめの事実の端緒に教職員が問題の解決をあやふやにしたことが悔やまれる。TV報道から推測するに、未だ顔形が特定できないが、加害者の生徒たちの一連の行為は、暴行の程度によっては傷害罪、自殺関与罪、脅迫罪、強要罪、侮辱罪、名誉毀損罪、被害者少年に金品を要求していたならば恐喝罪、被害者の少年宅に押し入っての金品を奪ったとすれば窃盗罪や強盗罪、器物損壊罪等の様々な犯罪を犯したと言えるし、将に彼らは無頼漢であることは一目瞭然である。


 一人の少年を自殺に追いやった行為は看過できない。加害者の生徒には毅然たる姿勢で臨み、厳罰に処すべきと考える。これらの行為に対する等閑の処分は、逆に更にいじめ現に行っている全国に数多いる加害者を増長させるに通じる。今回司直が介入したことは、司法の受忍限度を超えた即ち「法的処分が相当」とするに十分な嫌疑に足ると推測するが、現在いじめを受けている児童や生徒或いは成人において、一筋の光明につながるものと期待される。「助けてくれ!」と叫んでも声にならず口惜しく命を落とした少年はこの侭では成仏できまい。無頼漢を野放しにすることは法治国家においては許されない。


 私は、ご存知のとおりこの6月議会一般質問で人権侵害に対する課題を取り上げました。質疑応答の結びとして、「私は行政庁としての須坂市が、市民に絶対信用を持っているものを、仮に佐藤議員に挙げろと問われれば、一つは飲料水を提供している水道局を挙げる。蛇口をひねると同時に蛇口に口をあてて水を飲む児童らの行為をみるときに、つくづくと水道の信用を感じる。一つは救急車の要請と火事発生における消防署の出動であり、(鎮火の後をサポートする)消防団の活動を挙げる。これらは須坂市が長い年月をかけて市民から勝ち得た絶対信用であると申せます。更に先進自治体須坂を標榜するならば、市民の人権侵害に対して人権交流センターなり子ども課に寄せられた老若男女からの『助けて!』の訴えに、迅速かつ的確に手を差しのべることができるかが、市民からの絶対信用につながると思います。三つ目の絶対信用として大いに期待を寄せるところですが、どうか(須坂市という行政機関は)勇気を持って取組んでいただきたいと思います。」と締めくくった。須坂市は行政も議会も市民も挙げて、須坂市の三つの絶対信用を構築すべきであります。


 併せて、一般質問において、人権侵害に対しての中途半端な手助けは、一歩間違うと被害者を結果的に死に追いやることも指摘しました。行政(教育委員会も含む)機関は司法機関と違い、明白な救済措置が行政権限の限界もあり市民にはどうしても緩慢に映る。私は市議会選挙にあたって、「市民の権利を守るために議会が迅速に対応すべき」ことを掲げて市民から負託を受けた思いがある。地方自治体の一翼を担う議会の役目もより重大であるのではないか・・・


 いじめは重大な人権侵害として捉え対応すべきものと考える。その意味では文部科学省に判断を委ねるのではなく、法務省の人権擁護局を基幹部門としていじめ問題を抜本的に全国組織を以って対処すべきである。児童や生徒のとの拘りのが強い教職員や教育委員会の内部に解決策を求めても、その対処法には限界があり況や被害者本人、被害者家族も調査内容に信用が置けない。況や加害者に対して停学や退学処分を下しても何らいじめの抜本的解決を図ったものとは言えない。学校機関からの単なる追放ではなく、犯した罪の償いをきっちり着けさせることが大切であります。その意味ではハムラビ法典の記述通り厳罰を科すべきです。


 市長と教育委員会は法の建前からすれば別個独立の組織である。私は地方公共団体における三権分立は市長、議会そして教育委員会であると、議員として機会ある毎に発言を繰り返している。三機関がお互いに適宜な緊張と干渉を保ちながら、住民の福祉の向上と生命を守ることを使命とするを役割とすると心得ている。国家機関の三権分立は地方自治体取分け市においては私の捉え方であるべきとの自負もあります。その意味では、今回いち早く教育委員会に期待可能性は持てないとして対処する、大津市長のリーダーシップが注目されるのは、その勇気に外ならない。大津市長の動向を静かに見守り且つ声援をおくりたい。


 国家機関、行政機関、司法機関並びに教育関係者は、いじめによる被害者の悲痛な叫びを「助けてくれ!」と受け止めるべきです。繰り返されるいじめの悲劇を何とみているのであろうか。速やかにいじめを人権侵害と捉え、悪質なものは刑法犯と捉え加害者もしくは噂の発信者から行政機関に於ける法の基である法務省において、迅速に且つ手厚く被害者を守る体制を布くべきものと考ええます。