梅は咲いたか桜は・・・

北信濃は俄かに春めき候。雪国の春は一気に訪れ候。
小梅は既に、水仙そして梅が満開に、桜は駆け足で咲くだろう。短い春を草木は一気に燃え盛る。

 この時期、比較的時間に余裕を見つけては、文庫本を読みあさっている。先ごろ眼鏡の調整も終えたこともあるので、活字を追うに苦にならない。

 永井荷風の?東奇譚・・・
学生時代に東向島に半年ほど住んだことがある。鳩の町も玉ノ井も地名は現存していたが、荷風が通い詰めた戦前の町並みと私が一時期住んだ東向島とは、そこに住まう人々の人情は同じであっても、東京大空襲で家屋が殆ど焼失した史実からしても、全く違うものではなかろうか。総武線に揺られて亀戸に出て、亀戸で乗り換えて曳舟までの僅かの距離であるが、この電車は東京に上京したてで西も東も分からない僕にとっては、とても人情味のある下町風情の詰まった電車であった。車が通り抜けれない狭い路地の一角に、友人のアパートがあり、そこに居候した訳であるが、銭湯や湯あがりに飲んだラムネや氷水は青春のほろ苦い味である。

 後年、機会を得て?東奇譚を読むに、薄覚えの東向島界隈の情景が浮かんできて、当時馴染みになった人々が想いだされた。私も還暦を越えるに四十数年前の大人たちは、あのとき四十を越えていた人たちは果たして元気でおられるかやと思いを巡らす。

 つゆのあとさきは、東京の地名が事細かに書かれていて、東京で生活経験がある者には地名を追うだけでも面白い。更に坂道を事細かに記述している。東京は平らなように見えるが、歩いてみると段差の激しい町でもあった。作者は余程東京のあちこちを歩き回った御仁であったのだろうと感心する。又、観察力が素晴らしい。草木や自然の営みの記述も学者の域にある。荷風はまさしく詩人であったのではないかとも感じるのは私だけではあるまい。

 荷風の描いた世界は、寧ろある程度歳を重ねて読み返して、漸くその意が理解できる。実に味わい深い読み物である。「つゆのあとさき」の文中で老いた川島が君江に「人間一生涯の中に一度でも面白いと思うことがあれば、それで生まれた甲斐があるんだ。時節が来たら諦めをつけなくちゃいけない。」件は、西欧的個人主義のスケールで物事を推し量る半面、育ちの過程で植えつけられた儒学的教養の高さと、明治人としての時代背景である社会的生活環境が三竦みとなって醸成された人格、これこそが荷風自身の人生観ではないかとも思える・・・

2012/4/18記す。