青春群像


 東京から地理的に離れれば離れる程、東京への憧憬は強くなるものかも知れない。

 歴史的にも、地方には大規模な企業が数えるほどしかない。わが故郷信濃の国、しかも北信地方で新卒者を賄えるだけの雇用の場が無いとすれば、青年は故郷を捨て都会に出ざるを得ない。庶民は食べていく手立てを都会に求めざるを得なかった。このことは、過去も現代も聊かも変わりはない・・・

 昭和40年代初頭に、我々も大志を抱いて上京した。然し、大学等を卒業すると長男である同級生の殆どが、家業を継ぐためにUターンし、半数の六名の同級生は東京に残り二十歳代を過ごすこととなった。更に私が三十間際で帰郷の道を選んだが、東京と須坂に別れても青春時代を共に過した絆は、生涯を通じて親交を深めることとなる。

 青春時代は何ものにも勝る情熱、即ち夢があった。夢は夫々が違ったものであったが、互いに生まれ落ちるとともに背負った賦命とも宿命とも、はたまた天命ともいえる、得体の知れないものに挑む手探りの彷徨でもある。幕末の青年たちと現代の私たちの違いは、藩を挙げて須坂を挙げて共に行動をする一途な武士軍団意識の差なのかもしれない。

 
 先日、某テレビ局が中国の桂林にある洞窟の紹介をしていたが、驚いたことに桂林は太古には海底であったこと。その後の地殻変動によって隆起し台地になったこと。この台地が雨等の浸食により沢山の山になったこと。だから桂林の山の高さは殆ど同じであるとのことである。

 私は番組を見ていて思った。青春時代に夫々が挑んだ志の山は、俯瞰的にみれば、われわれは最初から皆同じ高さの台地に立った青年ではなかったかと。その後、この台地は個人を取り巻く柵や知力や胆力、努力や邂逅等様々の要因が作用して、浸食や隆起をしながら現在に至るも、その頂の殆ど同じ高さではないかと。
 大切なことは、同じ大地の上に様々の頂があることを忘れてはならないのではないかと・・・

 人間は、人との邂逅により人生は様々に展開する。今までの生き様と一変することもありうる。恩師も親友も、肉親も、家族も、一緒になって絵柄となって織りなす一布の絵模様は、個人にとってこの世に一枚きりの曼荼羅といえる。

 曼荼羅に描かれる恩師、友人、父母、兄弟姉妹、わが子であるが、その絵模様が人によって夫々違うところに、その人の歩んできた人生の重みがある。

 東京は田舎と違って今がお盆。先月亡くなった友の新盆である。合掌して友を偲びたい。

2010/07/15 (木)記す