再審法の改正を求める意見書



只今、上程されております、意見書第1号 再審法(刑事訴訟法の再審規定)の改正を求める意見書につきまして、賛成討論を致します。

お手元の意見書の冒頭にありますように、罪を犯していない人が、犯罪者として、法に依る制裁をうける冤罪は、将に一人の人生を破壊し、人格をも否定するものであり、このことは刑事法、以下通称の刑法と申し上げますが、刑法の根幹をなす、罪刑法定主義を形骸化する何物でもありません。

何故ならば、罪刑法定主義とは、ご承知のとおり、犯罪と刑罰が法律によってあらかじめ定められていなければ、刑罰を受けることはないという考え方であります。条文にはありませんが、刑法を貫く法精神であります。
わかり易く言えば、刑法などの刑罰法規に書いている行為をすれば罰せられるが、逆に刑法などの刑罰法規に書いていないことをやったとしても、決して罰せられないということです。
刑法が双刃の剣と言われる所以は、将にここにあります。刑法などの刑罰法規に書いていないことをやったとしても、国家が身の安全、自由の保障をすると言うものです。


ところで、どんなに刑法などの刑罰法規が正しく作くられていたとしても、その刑法を適用するための手続きが正しくなければ、数ある法律の中でその運用を一歩間違えれば 一番危険な法律は刑法などの刑罰法規であると私は思います。
何故ならば、憲法31条は「適正手続の保障」として、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と保障規定がありますが、刑法は実体法として、国家が刑法に応報刑と教育刑の性質を託しております。応報刑として、極悪非道な犯罪の刑罰の極刑として「死刑」を掲げております。国は極刑の執行を公然と認めておることも忘れてはなりなせん。


憲法は更に、裁判を受ける権利(憲法第32条)、逮捕の要件(憲法第33条)、抑留、拘禁の要件、不法拘禁に対する保障(憲法第34条)、住居の不可侵(憲法第35条)、拷問及び残虐刑の禁止(憲法第36条)、刑事被告人の権利(憲法第37条)、自己に不利益な供述、自白の証拠能力(憲法第38条)、遡及処罰の禁止・一事不再理(憲法第39条)、刑事補償(第40条)を以ってして、こと刑事処分に拘わる国家権力の行使は厳正中立でなければならないと、憲法も重畳的に条文を定めて人権の尊さを戒めています。
更に刑法で誣告罪が定めれていることも見据えて、人が人を裁く過程において誤審などはないと信じますが、現実には冤罪と是認せざるをえないケースが見受けられれば、「罪を犯していない人」の叫びを抹殺することは許されません。


さて、ご承知のとおり実体法をそのまま適用して、刑を科し刑の執行をすることは出来ません。実体法の目的を実現するために、刑法は刑事訴訟法という手続法の手順に則って、犯罪が生じた場合に、捜査、犯人の逮捕、起訴、裁判所での審理が進められ、判決という結論が下されますが、そもそも罪を犯していない人が、犯罪者として法に依る制裁をうけること自体、これは先ほど申し上げました、罪刑法定主義の善良な市民、罪を犯していない市民を護るに作用に反する行為であり、将にこれは冤罪と捉えるべきであります。


本意見書で掲げる本旨は、最終的に確定した有罪判決と雖も、そもそも罪を犯していない人が、裁判のやり直しを訴えることが出来るのが「再審請求」という制度です。誤って有罪となってしまった人を、救済するための最後の手段と申せます。ある日突然に、冤罪に陥れられ、一人の人生を破壊し、人格をも否定される危険性は誰にでもあると思います。況してや、無実の罪でその自由を奪われた人が、極悪犯罪事件として死刑執行が行われるとすれば、仮にもこんな理不尽なことを許す社会であってはなりません。亦、これを許す我々であってはなりません。「一人の生命は全地球より重い」このことばは、昭和23年の最高裁判決文にあるひと件(くだり)ですが、極めて含蓄のあることばだと思いませんか。


市民の人権の重みを、日頃から高らかに謳いあげる議員の皆さん!
お手元にある本件意見書に掲げた、再審法の改正を求める「1.再審請求人の求めに対し、検察が有する証拠の全面開示を法整備すること。2.再審開始決定に対する検察の不服申し立て(上訴)がいたずらに行われることのないよう制限を加えること」の2項目は、無実の人を救済するのに、長い時間がかかってしまう課題の解消策として、わが国の「再審請求」の仕組みについて定めた法律改正を願い、再審の扉をあけることができる手立てとしの真摯の請願であります。


何卒、ご賛同を賜りますようお願い申し上げまして、私の意見書に対する賛成の討論といたします。         

            須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎

2022.07