凛とした男になれ

 大泉学園から元麻布まで通うことになった。新宿の二幸前からバスに乗って麻布まではきつかった。バスの乗車時間がその日の交通事情によって違うからである。時には道路状況によって大幅に遅れてしまう。バス停を降りてからは坂を駆け下り、麻布十番から坂を駆け上る。若さゆえに出来たことかもしれないが、先生の所に行くまでに、一分でも速くと思い走ることによって、一汗も二汗もかくこととなる。


 毎朝、バスを降りてから走りまくるので、お屋敷に着くとびしょ濡れになる。ワイシャツは脱いで自然乾燥、体の汗をふき取り一旦脱いだ肌着を着て、体温でぬれた肌着を乾かすのである。着替えを持っていけばその分荷物になるからそれもできなかった。


 新宿、信濃町、六本木の繁華街を通る「田町」行きのこのバスは、交通事情に翻弄され、車内は超満員になる時間帯の、私にとって全く当てにならないバスであった。その後事情があって住まいを武蔵小金井に変えたら、麻布までの務めは更にきつくなった。


 ある朝、どうしても9時10分過ぎになってしまうことで叱られた。

 「君は修行のために、今日から僕の靴を磨き給え!」と先生に言われた。
 「はい!かしこまりました」と涙を堪えた。


・・・・・バスの通勤では9時までにどうしてもお屋敷につかないことで、先生は業を煮やされたのであろうか。高円寺にある予備校で夜は学んで、武蔵小金井のアパートに帰宅するのは午後10時半ごろ。更に午前1時半まで受験勉強して就寝。朝6時半に起床。6時45分には下宿を出て20分歩いて武蔵小金井駅に出る。
 更に中央線のラッシュにもまれ新宿駅下車。新宿からバスに乗ると麻布のバス停には9時前後着、麻布一本松を走って登ってお屋敷に着くこの間、凡そ2時間半も時間を要するのであったが、お屋敷に10分早く着くには、新宿駅に30分早く着かねばならなくなり、朝の6時そこそこに下宿を出ないと、一つ前のバスに乗れないのであった・・・・



 先生のお言いつけとおりにしようと、玄関先に行き先生の革靴を将に磨こうとしたとき、お手伝いの久さんが、奥から玄関に飛び出してこられ、強引に私からブラシをとりあげた。


「なりませぬ!」
「えっ?」
「なりませぬ!先生に叱られても、靴を磨いてはなりませぬ!」
「でも、先生のお言い付けですから・・・・」
「なりませぬ!あなたは法律家になるために、東京に出て来たのでしょう?」
「・・・・・・・・・」
「これは書生さんのする仕事ではありません。私の仕事です。私の仕事をとらないで下さい!」


 久さんは必死に「あなたは男でしょう!」と諭している眼差しであった。僕は久さんの諭しを心で解した。これほどまでに叱咤してくれるのかと思うと胸が熱くなった。


大先生は、朝風呂からあがられると、私は座敷に呼ばれ正座した。

「佐藤!靴は磨いたか!」
「・・・・」
「靴はどうした?」
「磨きませんでした」
「ほう。何故だ!」


 すると、久さんがすかさず玄関から座敷に小走りに駆けて来て、座るやいなや先生に一礼してから、

「私が止めさせました!」と先生に申し出た。
 先生は彼女を睨みつけた。彼女はもう一度、
「私が止めさせました。私の仕事ですから・・・」と言った。

 やがて先生は・・・

「そうか久の仕事か・・・」
「はい・・・・」
「うむ。それならばよい・・」と先生はぽつりと言われた。


 久さんは先生のところに住み込みで、行儀見習の修行をされているお手伝いさんである。確か僕と同い年であるが、激昂されている先生の前に進み出て、「私の仕事です」と身を挺して僕をかばって下さったが、よほど気丈夫な女性でないとできるものではない。私は大きな恩を受けたと思った。あんなに激昂されていた先生も、流石に久さんの訴えには穏やかになられ、やがて先生に笑顔がもどった。


 今思えば、予備校は住まいの近くの予備校で十分でなかったかと。高円寺と言う都心から外れた予備校を、生活の中心に置いたことが失敗だった。何も知らない田舎出の僕は、先生ご一家の皆様の温かな励ましによって、少しずつ少しずつ東京に馴染んでいった。


 久さんは僕が生涯に亘り頭のあがらない女性の一人である。何処に嫁がれたかも分からないが、きっと円満なご家庭を築かれたと思う。あのとき彼女からは「凛とした男になれ」と諭されたと思っている。あれから四十年の歳月が流れようとしている。再会が叶えられるならば、お会いしてお礼を申上げたいと思い続けているが、望みは叶わないでいる。

 
BGM:バッハ トッカータとフーガ