歴史は繰り返す



 「今の世の諸侯は、大も小も皆首を垂れて町人に無心をいひ、江戸、京都、大坂、其外処々の富商を憑(たのん)で、其の続け計(ばかり)にて世を渡る。邑入(むらいり)をば悉く其方(そのほう)に振向け置て、収納の時節には、子銭家より倉を封ずる類也。子銭家とは金銭を借す者を云う。邑入にて償ひても猶足らず、常に債を責められて、其罪を謝するに安き心もなく、子銭家を見ては鬼神を畏(おそ)るゝ如く、士を忘れて町人に俯伏し、或は重代の宝器を典当して時の急を免れ、家人をば飢さして子銭家をば珍膳して饗し、或は子銭家とて故もなき商買(しょうこ)の輩に禄俸を与えて家臣の列に入れ、或は貰(おぎの)りたる物の直(あたい)を償はず」【徳川吉宗・男の一生:泉秀樹著・三笠書房から引用】

 これは、今から276年前の江戸時代中期の享保14年に、荻生徂徠の弟子であり、信濃国は飯田出身の太宰春台(長野県歌・信濃の国にでも謳われている儒学者)が「経済録」に記したものであります。

 徳川幕府が1603年に開闢してから凡そ130年にして、春台は当時の世情を憂慮し、幕府の行く末を憂慮し、此の侭では瓦解するを予測しているともとれる文章ではありませんか・・・・・・

 読み返せば、読み返すほど、現在と余りにも酷似した世情ではありませんか?


2005/02/11 (金)