恩師・山縣龍観先生を語る


 小学校4年生から6年生まで教えを賜った山縣龍観先生のご葬儀が厳かに、先生が住職をされていた小布施町押羽の浄照寺で執り行われ、教え子として参列いたしました。先生を偲んで焼香に参じた人は幾百人にのぼったであろうか。お斉に着座した方々は130余名を数えるに至る。

 龍観先生に、私は「絵心」と「文字心」を授かりました。小学校の低学年はクレパスからクレヨンで線を主体とした輪郭のくっきりした塗り絵を学びますが、高学年になると水彩画を学びます。筆と絵の具と水の織り成す造形美が水彩画ですが、これはくっきりとした塗り絵ではなく、「輪郭のぼかし」が何とも言えない技巧を要するものであると思います。

 一方、「文字心」とは、こころの裡を具体的有形的に心に感じた情景を、文字で表すことであります。俳句や短歌はその最たるものであり、将に一幅の絵と同じと考えております。

 絵画は、絵の具或いは墨によって、「ときを一瞬とめて図(絵)として記録する」ことと、一句を詠んで「感じたことを文字として記録する」は、手法は違うが「留める!或いは形として残す」ことは一緒であること、その手法の手ほどきを授けてくださったのが龍観先生であったと感謝しております。

 筆はこの二通りを実現する道具であり、その後の僕の人生を通して常に身近にありました。手ほどきを受けた「俳句」は、今なお折節に詠んでおります・・・・・・

 享年88歳で逝かれた龍観先生が、小学生の僕に常に諭されたお言葉は・・
  男なら 決めたこと(信念)を 曲げたらいかん 
  男なら (女のように)細かいことを 言うてはいかん
  男なら 途中で投げ出すな(投げだすんなら、最初からやるな!)
  男は いさぎよさが大切だ。これは男の値打ちだ!
 と。潜在的に深く深く心に叩き込まれた教えにほかなりません。

 厳しさと優しさを備えた先生であられたことは、誰もが認めるところでありますが、少年時代の果敢な時期3年間を、鍛えて頂いたことは有意義であったと感謝しております。                       
合掌


2007/12/23 (日)