驕れる平家は久しからず

市議会議員 佐藤 壽三郎

 「驕れる平家は久しからず」ではないが、多数の議員を擁立する政府・自民党は高慢ちきになり過ぎて、権勢を欲しい儘とした「ほころび」が出てきたようだ。 堅牢な石垣も一つ石が転げ落ちると、あっけなく石垣は瓦解するものである。

 一国の総理としては、あまりにも多弁過ぎる。歴代の総理のなかで一番のお喋りに映る。官房長官も節制がない。職務上忠犬であらねばならないことは理解できるが、「虎の威を借りた狐」にしか国民には映らない。官房長官の務めは「君 君たらずとも臣 臣たらざる可べからず」ではないのか。
米国の露払いに徹する総理に心ある国民は違和感を覚える。親や祖父の七光りを盾にする気風を許さざる自民党であるかと思うとき、残念ながら過去の栄光に陶酔する体質は抜けきっていないようだ。

 我々はそれぞれが様々な生き方をしているが、それなりの「一分」を矜持として生きているものである。文部科学省前次官が「あったものをなかったことにはできない」と発言をしたが、これこそ将に文部科学省の最高事務方として、配下の職員に公務員としての士気を鼓舞した者としての責任の取り方と言える。日本人が忘れかけている最も崇高な「男子(おのこ)の一分」ではなかろうか。

平成29年(2017年)5月31日