無投票当選制度を見直すべきである

               
市議会議員 佐藤壽三郎


 思うに、無投票当選とは、換言すれば法定看做(みなし)当選と言えます。選挙告示日の立候補届出時刻を以って締め切り、立候補者数が定数以下である場合は、投票を行わずに立候補者が当選となる(公職選挙法第100条4項)ことであります。
更に公職選挙法第171条で、無投票当選となった場合は、選挙公報発行の手続きは中止するとあります。

 「無投票当選制度は、果たして市民の信託を得たと言えるだろうか。」との市民の声が飛び交いましたが、住民の信任即ち投票を得ずして当選者として扱われることに、選挙戦を戦い抜いて投票によって当選を繰り返してきた多くの再選議員も屹度(きっと)、本当にこのような「無投票当選」を、私同様に不快感と訝し(いぶかし)さを感じていると思います。

 本来の選挙制度の姿に立ち返えれば、法定看做当選などあってはならない。例えば「立候補者届出数が定数以下であっても、選挙を執行して、投票の結果得票数の最下位者を法定落選者とする。定数の欠員は補欠選挙で補充する。」というように公職選挙法第100条は速やかに改正すべきではないかとの思いもあります。

 立候補するにあたって、立候補者が認め(したた)提出した選挙公報掲載文原稿が「選挙公報」として印刷され、有権者に配布されないということは、法によって各候補者の政策意志を敢えて「目隠し」するに等しい規定ではないでしょうか。これでは市民が候補者の政治信条や提言が一切分かりません。取りも直さず、「選挙公報」によって、市民も今後の市議会議員の議員活動を監視する目安になる、資料あるいは情報を一切持たないこととなります。「投票が行われないから、選挙公報は不要である。」とする法感覚は、矢張り不満が募り(つの)ます。

 一方、無投票当選の効果として、市民は現職議員で立候補をした議員を、消極的に4年間の議員活動を支持あるいは承認したと捉えるべきなのでありましょうか。新人立候補者にあっては全くの未知数であり評価のしようがない以上、その将来に寄せる期待への同意行為なのでしょうか。

 何れにしても、「無投票当選」制度の在り方を見直すべきであり、昨今、議員のなり手が不足が表面化し、市議会議員選挙での無投票が相次いでいる現実を冷静に見つめ、選挙に際してだけでなく、恒常的に民主主義における選挙という機能の重要性を、我々は選挙は最も身近な参政権の行使である心得が必要と感じます。

 此の侭無投票を繰り返せば、議会と民意との乖離を生じ、市民の議会への信用を無くし、自治体の立法機関たる議会の機能は失われるでしょう。議員も又有権者であり被有権者であることを自覚し、市民の側に立ち返り、須坂市民として真摯に今回の無投票が抱える課題を捉えるべきと考えます。

 繰り返しになりますが、余りにも無投票当選制度は民主主義の本旨を逸脱し、民意を無視したものと思えてなりません。民主主義政治を堅持するものは何か。政治に携わる者は終身その地位を保持することは許されず、またその地位の世襲も許されず、選挙によって選ばれし者に、市民が政治を信託する制度であることを、片時も忘れてはならないと思いますが、政治の主役であられる皆さんは如何感じられますか。


平成31年(2019)2月28日