【終生書生気質】
「黒い雨」判決についての一考察
国家の頬っ被りは許されない 
 

須坂市議会議員 佐藤 壽三郎 


終戦直後に生まれた私たちは、後に「団塊の世代」と呼ばれるが、戦争の惨禍を全く知らないで育った。戦争の悲惨さを書物や映像で知り得るが、如何せんこれらは知識であって、悲しいかな戦争の痛みが伴わない。

30歳の後年に、私は長崎の原爆祈念館、広島の平和記念資料館を訪れる機会が叶いました。原爆で被った遺品や悍(おぞ)ましい写真を見ているうちに、同胞がかくも無差別にまるで虫けらの如く、原子爆弾という狂気な兵器で、一瞬のうちに尊い命が奪われたことに無性に戦争や原爆投下に腹がたちました。一瞬にして命を奪われた犠牲者のことを思うと、さぞかし無念であられただろうにと涙が流れ落ちて止まらなかった。将に戦争は、原子爆弾は、赦すまじ行為ではないか。私はパネル一枚、一枚に涙を拭いながら合掌して館内を巡りました・・・

広島や長崎が長野と遠く離れている地形的事情もあってか、広島の原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」の事実は全く知りませんでした。況してこの黒い雨を浴び、放射線による影響が疑われる病気を発症した事実も知りません。亦被爆された患者さんの目撃もしていない。全く無知であったことが同胞として恥ずかしく思います。

ところで、黒い雨の降雨が原爆投下直後に降った区域を国が定めたことにより、区域外に降った雨が「黒い雨」と言えるかが争点であるが、黒い雨の降雨が原爆投下直後に降ったればこそ、黒い雨にさらされた人たちが、がんや心疾患といった放射線の影響が疑われると国が認める疾病になったことの事実を斟酌すれば、容易に原爆投下されたことを原因とする疾病であることを、否定することはできないではないかと思います。

戦前の帝国日本の国を終戦により引き継いだ現日本国政府が、何故に戦争によるそれも無差別な殺戮行為であった原爆による被爆者を、限定的に地域差別してきたのであろうか。政策上の地図上の線引きは、単なる行政区分の目安に他ならない。大切なのは現実の認識と救済である。天空を現実に間仕切りすることなどできない。法的に不能と思える法理の主張はおかしい。原爆投下直後に国が区域外とする係争地にも黒い雨が降った事実があり、この黒い雨にびしょ濡れになった事実の実証があれば十分ではないか。地域を限定しての黒い雨の是非の評価は余りにも無知と言わざるをえない。

我が国は無条件降伏を連合国に受諾して敗戦国となった。連合国に対して賠償責任も賠償補償も何もかも放棄せざるを得なかった当時の国情も分かる。勝てば官軍負けた国は全ての利権を失うのが世の習いであるからだ。然し、敗戦国として屈辱的な講和締結の負を、国は非力な国民に転化してはなるまい。

極めて不合理な差別の間仕切り理論を振りかざし、更に「原告は被爆者援護法で定める『被爆者』にあたるかどうか」を争点にした。思うに原告らを愚弄した行政処分は不利益処分に他ならない。最早即刻処分の取り消しを図り、原爆投下されたあの日から原告らが被ってきた苦痛を一刻も早く取り除き、人道的にも彼らを癒すべき救済の差しのべが国の努めでではないのか。裁判所は弱者救済の本論を諭し、原告らに救済の道を開いた妥当な判決と言える。

被爆者である原告ら高齢者が、時間を遡ることは不可能だ。であれば一時の時間の引き延ばしも許されない。国家の頬(ほお)っ被(かぶ)りは国民が許さないだろう。寧ろ国に良心の呵責があるのかと問いたい。

2020年8月31日