これぞ将に燻し銀の歌声



 歌手の藤圭子さんが自ら命を絶ってしまったが・・・

 藤圭子さんは、我が団塊世代において、なぜかインパクトのある歌手であった。存在感のある歌手であり、彼女のヒット曲と団塊世代の世相が、何故かオーバーラップする。我々団塊の世代は、青春時代に彼女の怨歌とも艶歌とも表現されるが、彼女の歌声に聞き惚れたものである。なぜならば、彼女の唄い方には喩えようのない深みがあった。聞き終えた後に、お寺の鐘のように余韻がこころの裡に残ったからである。

 二十代の後半であっただろうか、あるとき仲間と彼女の魅力について語り明かした・・・
特に、テレビ局に勤めている友人は、直にスタジオで彼女を見ていることもあって、観察力鋭く解き明かした。自ずから彼女への造詣も深くなり、スタジオで彼女を観ている故に説得力のある分析であった。

口角泡を飛ばしての内容は・・・
〇彼女の唄には哲学がある。
◇うむ、同感だ!
〇彼女の「ばかだなぁ、ばかだなぁ・・・」の歌い方は天下逸品だ。
◇俺もそう思うよ
◆言われてみればなるほど・・・
〇絞り出すような歌い方が心を揺さぶる!
◇小節をやたら使う歌手とは違う違う。
□単にガナル歌手がいるが、彼女は本質的にガナラない。
◆応援歌じゃあるまいに、ガナルことは心を揺る動かさない。
〇終始ffで1本調子の歌い方をする歌手がいるが、抑揚ということばを知ってんだろうか?
◇ffでガナル歌手なんぞは、歌謡曲は3分間のドラマという感覚に欠けているんだ。
〇そこなんだ、彼女は「圭子節」という独特の味をもっている。
◆歌も良いが、彼女の涼しげな瞳がいいじゃないか。
□じーと見つめる目が最高と思わないか?
〇黒目がちの瞳が哲学そのものだ!
◇いや彼女の長髪お河童が魅力的だ。
 と、声から容姿まで彼女を肴に、新宿のビアガーデンで時を過ごしたこともあった・・・

 私は、最近You Tube で「藤圭子歌謡浪曲」シリーズに填まっている。
他の歌手との競作を聴き比べると、藤圭子はやはり一味違うと感じる。
どこが違うかと言えば・・・
途中で停止クリックを操作することなく、最後まで聴き惚れる違いであろうか。
情景を彷彿させる
情緒豊かである
何故かこころを揺さぶる・・・
聴くほどに歌謡曲が一服の清涼剤のようだ。
私には彼女の歩んだ人生の襞(ひだ)、こころの襞が読みとれる。
不屈の叫びとも感じる・・・

 彼女の燻し銀の歌声は天与のものであった。
 屹度、彼女はこれから更に再評価されるであろう。

 テレビ局に勤めていた友は、惜しいかな還暦を迎えないで逝ってしまった。
上京するときも一緒であった刎頚の友の死は、私の自慢の友であった分
ぽっかり空いたこころの隙間が中々埋まらないでいる。
折節に亡き友が、藤圭子の熱烈なファンであったことを思い出す。
今夜はやけに「藤圭子の魅力」を熱っぽく語った友を思い出す・・・
友を偲んで、藤圭子さんを偲んで今夜もYou Tube に浸ろう・・・



2013/10/7記す。