最優先として国民の命を守るため

須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎


 緊急事態宣言の延長については、私も現下の状況からすれば、極めて妥当な措置であると思います。茲は、島国日本の地の利を効かせて、海と空から外国からの人の流れを絶つこと。 陸続きの欧州 とは違って感染拡大を阻止することが、万里の長城を築く以上に大切であり効果が期待できると思っています。言うなれば国民の命を守るために外国との人の行き交いを禁ずる鎖国を行うことが最善策であると思います。

 幼い頃、祖母や母から「その昔にな。仁徳天皇という偉いお人が、ある日高い所に登られて国を眺めていたら、人たちの家からご飯を炊く煙が登っていないことに気づかれてな。これは民が貧しくてご飯を炊くことができないのではないかと思われて、三年間は税金をとらなかったそうだ。三年経って天皇が高い所に登られて人の家を眺められると、あちらこちらの家からご飯を炊く煙が立ち上がっていたんだってさ。民、百姓を思いやることが政治なんだぞ。わかるな! 大きくなったら人を思いやれる政治家になるんだよ・・・」と言い聞かされたことを思い出します。これが『日本書紀』の「民のかまど」の物語であることは後年知ることですが、この「民へのいたわり」の逸話は何時の世にも通じるものではないでしょうか。

 国民あっての国家であり、国家は一握の権力者のためのものでは決してありません。国民が総じて新型コロナウイルスに怯え、3密の自主規制の名の下の強制で経済活動も奪われ、経済は疲弊し収入の途が絶たれて飢えているときに、将にこの事態を救済するのが、国民の納税によって成り立つ国家であることを忘れてはなりません。再三現下の窮状を「轍鮒の急」状態であると唱える国民に対して、国家は持てる総ての財を吐き出してでも、国民の命を、暮らしを守ることこそが、これぞ将に国家であり、国民から選ばれた政治家の果たさねばならない、究極の決断であり責務であると思います。

 有力新聞各紙とも「延長は妥当である。」評価ですが、一方、「将来緊急事態宣言解除に対する出口を睨んでの政策の方向を示す必要性。」を、更に「政府に必要ならば追加の財政支出を検討すべき。」とも説いています。社会の鏡たる報道機関の社説を今後も注視してまいります。

 ところで最近気になるのは、3密を唱えてもこれを平然と無視して、故意に冒す市民がいることは誠に情けないことです。これぞ新憲法下における人権意識の高揚と褒め称える者もいますが、国難のこの時に、生命の尊さを慮るときに、これこそ個人主義と利己主義の履き違へと感じます。親の躾や学校で学ぶ自由の本質をおろそかにしたツケが、戦後70年の歳月を経て、自由の限界を修得する際の杜撰さの結果だと感じてなりません。自由とは本来野放図なものではなく、お互いの節度ある思いやりが働く中での自由の謳歌でなくてはならないと思います。

 国の緊急事態宣言に伴い、長野県知事が、「新型コロナウイルス警戒宣言」
に対して、「外出の自粛や観光施設などに対する休業への協力依頼など」を行った以上、県民も、県と市町村の一枚岩の結束と、「みすずかる信濃の国」の合言葉の下に、県民が今せねばならないことへの「直きこころ」が求められる正念場ではないでしょうか。
心を一つにして、誇りある長野県民、長野広域連合圏域住民、須坂市民、須高住民北信に住まう住民として、この難局を須坂市立森上小学校の校歌で唱(とな)える「直(なお)きこころ」と行動で乗り切ろうではありませんか。徒に粋がることは決して勇気ではなく蛮行でしかないことを誰しがも自覚し、真摯に指導者のメッセージを受け止めて、不必要な外出を慎まねばならぬ時と思います。

 緊急事態宣言の再々延長がなされないためにも、我々は今こそ隠忍自重を課す時と心得ます。一日も早く日本中、世界中が緊急事態宣言から解放され、自由闊達に行動できる日を一日も早く取り戻し、平穏な日々を送りたいものです。

令和2年(2020年)5月15日