季節の巡りとゼンマイ時計


 今朝(13日)の冷え込みは、根子岳を銀河の世界に変えた。北信濃にも冬将軍の到来は真近な気配である。それでも地球の温暖化の影響なのであろうか、寒さは平年よりも1週間は遅いとか・・・・・・・・・

 一年のサイクルが目まぐるしく廻る。なぜこんなに短いと感じるかとの答えに、「物事を集中的に捉えるから」と言うようなことを言われた人がいたが、「のほほん」と過ごせた十代が懐かしい。

 時間の長短は物理的には、1秒は1秒であって、恣意的な長短などありえないことだが、そもそも1秒の長さをどのように決めたかも異議がある。況や太陽を1週することを1年と決めたことも・・・・・・・

 時間に長短を感じることは、人間臭さがあるのではないか?実際、待つときの時間はとても長く感じ、当事者として、例えば公開討論や講演をしているときなどのときは、「瞬時」とも思える速さで、時は巡ることは誰しも経験するものである。

 ゼンマイ時計で青春時代を過ごした僕らには、正確な時計はこの須坂には、電車の運転手や車掌、駅長等鉄道関係者、電信電話公社の関係者が持っていた懐中時計が極めて正確な時計であった。市民は会合を開くときに、定刻から5分、10分の遅れは当たり前であったが、これを「須坂時間」と称したものだった。私は町内会の役員をしているとき、「定刻開始」をモットーとした。人数が居ようが居まいが「定刻」になると会合を始めたものだった。

 水晶発振時計(クオーツ)が比較的安い値段で手に入る昨今、時計の精度は飛躍的に上がり秒単位の誤差のこだわりであるのに、人間は果たして律儀になったかと言えば、依然として定刻に人は中々集まらない。腕時計は極めて正確に時間を示しているのに、これは皮肉とも思える。

  屹度、人はコチコチとなるゼンマイ時計にこだわるのではないかな。理由は、一度切りの人生だからアバウトな人生を送りたい願望かも。正確無比と杜撰さの乖離は募るばかりだ!

2005/11/15 (火)