気骨のある政治家でありたい
 市議会議員 佐 藤 壽三郎

 市議会議員改選後のはじめての一般質問が6日から3日間で合計12名の議員が登壇しました。

 新人議員の掲げる課題は何だろうかと、碁で言えば初手が、星なのか?小目なのか?と興味津々でありました。かって私も初登壇したときと同様に、議会のルールを十分に理解しないこともあって、一般質問は大変荒削りな、ぎこちない内容でしたが、須坂を思いやる気持ちは新人も古参もありません。

 市議会議員に言えることは、1期4年間を通して如何に問題意識を以って日々を重ね、問題意識の解決のヒントを得るために、あれこれと自らが調査研究を行うことを身に付けないものは、議員として議会に2期、3期と残れない・・・・・・・

 2期、3期になって、今更1期のときに当然学んでおくべきことを、委員会では「愧じ」が先走りして質問も出来ないこととなる。そんな議員を私は足掛け9年の議員生活で嫌と言うほど見てきている。

 見習い大工は、修業時代に師匠や兄弟子から教わる「墨付け」を習得できなければ、大工の世界を去らねばならないと聞く。大工の世界に残っても「墨付け」が出来ない半端大工として生涯を終える厳しい世界である・・・

 板前も左官職や理容師も亦然り。その道には修業時代に習得しておかねばならない「術(すべ)」が必ずあると言うことであろう。

 これらを習得した職人は「骨」がある。誰にも譲らない気骨と言うものである。これを「職人気質(しょくにんかたぎ)」と人は言うのかも知れない。

 このことは議員にも言える。上程された議案の真意と議員としての中長期展望の分析。一般質問の起案と裏付け調査。自分が市民より受ける陳情・請願の裏付け調査等が出来なければ、中途半端な議員の烙印が押される。

 中途半端な議員も議会で黙っていれば、時間が経ち会期を過ごすことが出来る。任期である4年間を寡黙な議員として過ごすことが出来るが、然し・・・・
議員として努力をしない議員は、発言に重みが無く実行力が失せ、褪せて何時しか議会を去ることとなる。

 骨のある議員になるには、政治家の信念(信条)をもつことであろうか。信念は使命に通じると私は考える。

 自由と正義を心の奥底に秘めて、須坂五万四千市民の生命と財産そして人としての尊厳を守りぬくことこそが、私の使命であると肝に銘じて、今日も市民の負託に応えるべく、女房の「火打ち」を背に議会に登庁する。

平成19年3月15日記す