いつの間にか、体験者になっている不思議


 人は過去のことについて、何時しか”自分が経験したことがある”と言い切るようになってしまう時がある。このときが人間では一番危険な時と言える。本人がそんな気がないにも拘わらず、世間的には「知らないとは、もはや言えない」と言うことであろう。

 例えば、洞穴に入ったことがあるか?というと、洞穴の類は「探険」に属するものであり、これは必ず一人では行けない。弟を連れて洞穴に入ったことがあるが、真っ暗な中では地図を描ききれないので、早々に出てきたものである。同級生たちと再度挑戦して、怖い思いをして通り抜けた体験が有るが、後に何ともいえない充実感とも男に成れた思いが少年にはあった。

 矢張り、一度洞穴を通り抜けた経験のある人が居ないと入れない。ましてや洞穴内の地形状況は、現場をみたことがないと語れない!と同時に感じた。

 歴史を語るときに、一番歯痒いのは、目撃の生存者が居ないことである。聖徳太子にも信長、秀吉、家康公に会って喋った体験がある人が、現在の世の中に居るかということである。

私が茲で言いたいことは、自分が経験も体験もしたことがないのを、時が経つと恰も経験あるような、或いは体験をしたことがある様な言い方を兎角小人はしてしまうが、失言は取り返しがつかなくなることである。議員が一番戒めなくてはならないことであろう。

 厳に慎まなくてはならない言行だということである。

2007/08/20 (月)