北信五岳スケッチ


 昨日の信州・信濃の空は、なんという蒼さだろうか、紺碧の空、青空、蒼天とあおにかかわる文字を集めても、信州の空を文字で表現するには筆舌しがたい蒼さである。この天空の青空とアルプスの白銀の尾根のコントラストが天下一品ではないか。こんな日は年に数えるほどしか御目にかかれない・・・

 五岳は戸隠連峰を除くと、飯綱山、、黒姫山、妙高山、斑尾山と千曲川の対岸である高井野からみると、各々が離れ山のように見れる。こんもりした山並みがどかんどかんどかんと間隔を置いて連なる雄大さだ。

 上杉謙信は、川中島の戦いに飯綱山を東に回るか、西に回るか思案したと言う。進軍の集合場所はは善光寺であるが、天下の武将は柏原まで進軍してきて、様々な情報を聞き入れて戸隠の腰水を進軍して茂菅に出るか、坂中峠を越えて浅川に出るか決めたのであろう。事実、戸隠の山中には謙信道が古道として今でも残っている。

 人質として上杉景勝に差出された真田信繁(幸村)は、父昌幸とどのコースで春日山に入ったのであろうか。歴史は遡るが、旭将軍木曽義仲の伝説も北信には処々にある。征夷大将軍頼朝公も善光寺を参拝し、その折ひづめが引っ掛かった石畳が現存する。四阿山には頼朝公の矢にまつわる的岩伝説が今も残っている。

 元内閣総理大臣田中角栄公が、大志を抱いて信越線経由で上京したことは、彼の伝記を読んだ者ならば、誰しも知るところである。碓氷峠が断たれた今、長野新幹線が北陸に延伸されるに及んで、長野から以北の信越線も、県境まではしなの鉄道に委ねられることとなる。軽井沢駅から妙高高原駅までは長野県の範囲として「しなの鉄道」が受け継ぐこととなるが、更に直江津と在来線である信越線が残ることは嬉しい。

 暇があらば、各駅電車に載って信越本線で長野〜直江津、長岡にでて、飯山線で十日町、飯山を経て長野まで乗り回す列車の旅をしたいものだ・・・

2012/4/3記す。