弾けないギターを引っさげていた仲間



 議員は、定例議会が開かれたいるときだけ議員活動をすればよい。謂わば審議委員会の委員の如く、招集されたときに常識的意見を具申すればことが足りると思っている議員が未だにいる。してみれば、極めて楽な商売となる。
 議会を改革して、開かれた議会を作ろうではないかとする議員が集まり、足掛け三年ばかり色々と討議を積みかさねてきたが、最近になってすきま風を感じたからである。

 学生時代、フォークギターが幅を利かせていた。中には、弾けないのにギターケースを引っさげて街を歩いている人がいた。「かさばるのをなんでまた?」と聞くと、「流行(はやり)だからさ。かっこいいだろう!」とあっさり言いのけた友人がいたが、これと同じ感覚で、議会改革のメンバーで居ることが、「市民受けするからさ」として居たとするならば、「もっと書物を読んだら」と言われても仕方あるまい。人があれこれ、書をあさり真剣に考えて提唱する努力も、「うまいところだけ頂く」とあれば、いささかふざけるなと言いたくなる。そう言えば、改選が近い時期には出席者も多かったが今は少ない。

 言いたいことは、改革の意志なくして、改革を志す仲間にいることに、安らぎを覚える下心のある議員は、仲間と呼べないということである。

2003/08/23 (土)