不器用な生き方 いいじゃないか!



 栃錦や若乃花で育った私には、最近の大相撲は少しも感動しません!

 横綱が突貫大関千代大海との取組みで、立会いに体をかわしたり、決定戦では横綱が頭を押さえつけて勝つ手口は、これは「技」ではなく日本で言う「きたない取り口」でしかありません。

 価値観の違いなのでしょうか?単に勝てば良い思想と勝負に華を求める思想とは違う。横綱は横綱にあるまじき立会いをしてしまった。張り手押し一本の千代大海に対してである。私は土俵の下に跳んで転げ落ちた千代大海に、寧ろ力士としての潔(いさぎよ)さをめでたい。

 囲碁の世界で、大竹英雄という棋士がいます。彼の碁はとにかく形にこだわる。勝負より後世に残る棋士の戦歴である棋譜に命を賭けるため、タイトルや賞金よりも碁の形にこだわり勝つ碁も勝たない棋士であると、これは30年も前に聞いた話である。

 歳は万人に等しくふりかかる。人の生き様は万化するものであるが、あれから30年余を経るも、あくまでも「大竹美学」にこだわる棋士大竹、しかし彼はこの30年の間に数々のタイトルを獲り囲碁名人にまで到達した。

 力士の最高位と言われる大関まで上り詰めるも、あくまでも自分の形の相撲を取ろうとして、土俵から転げ落ちる力士千代大海!

 然し、知る人は知る!大竹棋士も千代大海もファンが後を絶たない!それはなぜだろか?

 二人に共通するものは『不器用』。この不器用な生き方こそ、現代人が失いかけている故に求める『華』であり、そこに清々しさを感じる生き方を感じるからであろうか。

  頑張れ!棋士大竹! 負けるな!千代大海! とがって生きろ!



2007/04/01 (日)