戸隠や 女房に連れられ 水芭蕉
  壽茶

會報ことぶき 月報(No.80) 2005年5月号

(須坂市議会議員佐藤壽三郎の議員活動詳報)



巻頭:千曲のかなた  雨粒にも命あり



 私はこの目を疑った。そして何遍も何遍も眼を擦った・・・
「えっ!これは何だ?まさか・・・」と・・・

 5月15日。須坂市は昼ごろお天気雨にみまわれた。事務所をでて、下駄を履こうと足元を見たら、黒い斑点が表れては消え、表れては消えてゆく。小気味悪い斑点模様を訝しく観察すると、斑点はサンルーフに降り注いでいる雨粒の影であることが分った。陽射しが強いのと雨粒が大きかったのが幸運だったのかもしれないが、生まれて初めて、「雨粒の影(命)」をみることが出来た。

 人生、長く生きていれば、色々なことにお目にかかれるが、雨粒がサンルーフに烈しく当り散る瞬間が影として犬走りに映し出されたのであったが。私は暫し眺め入ってしまった。これが世にいう「色則是空 空即是色」かと・・・



1.【第2回須坂市議会臨時会のあらまし】


1).本会議関係

@ 臨時議会の招集 5月9日午前10時
議題:@専決処分の報告について⇒可決

A 常盤中学校生徒の自殺事件に係る損害賠償請求事件(長野地裁平成12年(ワ)第4号)について、和解することの議決を議会に求める件(議案54号)。委員会付託の後本会議で総務委員長報告を受け、採決の結果、原案とおり可決。

 なお、総務委員長報告のなかで、議会としては異例であるが、議会運営委員会、総務文教委員会、議長の同意の下に、「本件につきましては、須坂市議会にとりましても大変いたましく、悲しい出来事でございまして、ご両親はじめご家族、関係者の皆さんに深く哀悼の意を表するとともに、何よりも自ら死をえらばなくてはならなかった前島優作君に対しまして、深く哀悼の意を表すとともに、心からご冥福をお祈りします」と述べた。

2).議会運営委員会(全員協議会)

@ 5月9日 第3委員会室
議題:第2回臨時会の議案について外3件

A平成17年5月20日午後1時半(全員協議会)
   指定管理者制度の説明について

3).会派代表者会議

@ 5月9日午前8時30分 第3委員会室
議題:第2回臨時会について外

A 5月25日午前9時半〜 第三委員会室
議題:議会が選出する農業委員会委員について

4).総務文教委員会関係

@震度4の地震に対する市の対応の報告を受ける。
4月23日午前0時23分ごろ須坂市妙徳山付近を震源とする強い地震(震度)を観測しました。須坂市は、地震発生と同時に第一は配備体制をとり、職員97名及び消防団が出動し、被害調査等を行なった旨の報告を市総務部長から総務文教委員長として受けました。

A4月27日午前9時 第4委員会室で開会
T.常盤中学での生徒自殺事件に係る損害賠償請求事件訴訟報告について。
U.4月23日発生の地震災害報告について。
V.市内の特殊地下壕の調査並びに鉱山旧坑口の現状について。
W.平成17年度行政視察の各委員の受持ち視察地の決定と事前学習を行なった。
 
B5月9日 本会議の付託を受けて委員会審査
 審査案件:議案第54号:和解について。質疑、意見を集結し、討論を省略し、採決の結果、原案のとおり可決すべきものと決した。

C平成17年度行政視察を実施しました。訪問した市は夫々に意気込みがあり、先進地でありました。余すことなく懇切にご指導を受けました(興味のあられる方は、各市のHPにアクセスしてください)。

     

T.訪問地:北海道 旭川市 

訪問日時:平成17年5月11日
調査事項:1)市民参加推進条例について

U.訪問地:北海道 苫小牧市

訪問日時:平成17年5月12日
調査事項:まちづくり基本条例について

V.訪問地:北海道 千歳市

訪問日時:平成17年5月12日
調査事項:生涯学習まちづくり推進計画について

W.訪問地:北海道 恵庭市

訪問日時:平成17年5月13日
調査事項:総合計画策定事業について



2)市民参加推進基本指針について
  
 行政視察報告は委員会ごとに集約されて、全員協議会等で発表されますが、各々の議員の研究課題の資料として利用されます。

D5月24日午後2時。教育委員長、学校教育課長と面談。
E5月26日 学校給食センターの設備を視察。
F5月26日 須坂消防署太田総務課長と視察について協議。

5).須坂市議会定数等改革検討委員会

@ 5月27日午後3時〜 第三会議室

議題:T.定数、報酬、政務調査費について U.議会と市民との懇談会の日時と会場等について V.姉妹都市、友好都市の取組について W.その他

6)須坂市社会福祉協議会監事

5月17日午前10時〜   於:須坂市社会福祉協議会会議室
@平成16年度事業概要及び収支決算の監査。
A平成16年度須坂市精神障害者授産施設「ぶどうの家」特別会計収支決算の監査。


5月24日午前10時〜   於:須坂市社会福祉協議会会議室
   会議の種類:理事会
@平成16年度事業概要及び収支決算の認定。
A平成16年度須坂市精神障害者
 授産施設「ぶどうの家」特別会計収支決算の認定。
B会計監査報告


5月27日午前10時30分〜   於:須坂市社会福祉協議会会議室
   会議の種類:評議会
@平ら成16年度事業概要及び収支決算の認定。
A平成16年度須坂市精神障害者
 授産施設「ぶどうの家」特別会計収支決算の認定。
B会計監査報告


2.【私の議会外議員活動】



@4月24日 午前11時〜 昊翔流吟道会第25回温習会に参加。
A4月26日 午後7時半 泉小路活性化の会準備会に参加
B5月2日  境沢町地蔵尊祭礼に参列
C5月16日 泉小路活性化の会の総会準備に参加

D5月23日 午後7時〜於:上町公会堂 出席者は凡そ50名
      会議の種類:泉小路活性の会設立総会
  
(1) 会則承認、役員承認、17年度事業計画並びに予算案を承認。

T.活性化の会の目的

○泉小路の活性化及び沿道住民が、今後も住み続ける町の構築を念頭に置いたまちづくりを図り、沿道住民並びに周辺住民の保有財産の有効利用、生活環境の整備と生活利便の向上を実現するために、会員相互の連絡調整を行なう。

○泉小路に関わる都市計画八町線の幅員を原点から見直し、沿道住民が希望する道路の実現を図るために、行政、議会に働きかける。



U.平成17年度泉小路活性化の会・顧問・相談役・役員名簿

顧 問 県議会議員 村石正郎  県議会議員 永井一雄

相談役  市議会議員 卯之原卯吉  市議会議員 永井康彦 
      市議会議員 永井光明  市議会議員 佐藤壽三郎
      上町区長  金井義和   穀町区長  福本 卓
      北原区長  岡部孝男

会 長  上野重明
副会長  笹川堅一 中村圭男  丸山 眞
幹 事  今井元朗 佐藤千重郎 長張吉男 岡田吉二
      橋本正紀 牧 正文
監 事  神林夏雄 小林敏生 (敬称略)
  

 私は泉小路で生まれ育った。父は早世してしまったが、私は泉小路の人々によって育てられ今がある。その泉小路が今存亡の危機にあるとき、私は持てる知識を惜しみなく注がねばならない・・・・・・・

 本会の設立は、祝辞に立たれた村石県議や上沢まちづくり推進部長が述べられたように、「泉小路は活性化に向けて、従来の公の押付け会合から、住民が自らの意思で描くまちづくりの発言の機関を持てた」ことは、明らかに歴史的第一歩を記したと言えるし、新たなる自治の在り方の指針でもある。

 来賓:県議、市議、区長、須坂市まちづくり推進部上澤部長、伊藤課長、牧野課
長補佐、須坂商工会議所片山職員、劇場通り商店街役員。



3.【自主研究:地方議会と市議会議員】

第一考   政治家の本分とは

 長野県議会が地方自治の二元制を健全な形で堅持しているかと訝(いぶか)しがる人は、私の周辺には意外にも多い!

 異端児田中康夫知事に対して、古き保守王国長野県と称された時代に、どっぷり政治家として教育的指導を受けた期数を重ねた議員ほど、時代劇で見かける「牢名主的牛耳り」政治がなされているとは思いたくないが、脇から拝見するとそのように見えてならない。

 田中知事を「小説家」と決め付けて、「政治のトウシロー」と決め付けるキライがないか?それは明らかに「知事を愚弄した決め付け」と言わなければならない。特に政治の世界は「期数」が巾を利かす。期数を重ねた議員にとって知事は、法律用語で喋る「鼻持ちならないきざな男」に映るのであろうか?

 彼は体系的に法律を学んだ法律家であることは、私が何遍も指摘してきたところである。このことは彼のプロフィールを拝見すれば一目瞭然である。彼は青春時代を一橋大学の法学部で学んでいることを思うとき、彼は小説家として脚光を浴びたが、実は司法試験を志し法律家になろうとしたのではないかと、彼の発言や文章を見て感じる。

 心ない県民が田中康夫知事を謗(そし)ったり嗤(わら)うことは簡単だが、その前に、知事の言わんとしてことを知る勇気が我々に必要である。それからでも謗りや嗤うことも一向に遅くない!それが民主主義ではあるまいか。

 私は折りある度に、知事の発言サイトの紹介を繰り返し行なってきたが、数多もたらされる情報を、聞く耳や見る目を持たないことを自慢する政治家は、独裁者か議会制民主主を蔑(ないがし)ろにする政治家に変化(へんげ)する政治屋に落着くかであり、何れも政治家の本分を喪失したならば、潔(いさぎよ)く政治と言う舞台より去るべき「老兵」ではないか?

 「老兵」とレッテルを貼られないためにも、政治家は寝るを惜しんで書を読み、数多の情報を漁(あさ)り、市民の為に、県民のために、国民のためにあれこれと悩むものではないのか!常に憂国の士であるべき所以である。

 いつの日にか田中知事と論議するを夢見て、大いに聞く耳や見る目を磨いておこう!我々は正真正銘の信州人!理屈こき長野県人の真骨頂を大いに発揮しようではありませんか!信州ブランドは果実や味噌、酒ばかりではないことを天下に示そう。



第二考  日本は、何時の時代も植民地として狙われている!

 GW前に、会派自由クラブの仲間である丸山久雄議員から、中学生が使っている(即ち生涯に亘っての歴史認識をもつ)「歴史教科書」を頂きました。GWは18世紀以降の歴史のおさらいを致しました。茲にいくつかの疑問を拾い出したいと思います。

 どれほどの人たちに、ポルトガルとスペインが1494年に地球を東西に領土を二
分し、己の国の領土にしようとして結んだトリデシリャス条約の存在があるでしょうか?

 しかし、15世紀の世界地図はポルトガルとスペインの植民地天下ではありませんか!「ポルトガル?種子島に鉄砲伝来!」なんて悠長な覚え方をした認識が誤りでした。実は、ポルトガルは虎視眈々と日本を植民地として狙っていたのです。植民地化を防いだのは信長公であり、秀吉公、家康公と将に時の為政者であったと感じます。背筋の寒い話です。


1)18世紀末19世紀はじめにかけてのロシアの南下政策、ポルトガルやスペインに替わってのオランダ、イギリス、フランス、アメリカの日本近海への出没の意図は何であったのでしょうか?


2)19世紀にイギリス、フランス間で植民地獲得のための争奪戦を展開。アフリカやインド東南アジア諸国を獲得して、矛先は東アジアへ。
さて、中国には数え切れないほどの英雄がいますが、真の英雄は、敢然とイギリスにアヘンを拒否した、清国の大臣であった林則徐ではなかったでしょうか!
1840年のアヘン戦争に至るまでの、イギリスの清国蹂躙と、清国にとっての屈辱的な南京条約の調印は、実は古来から形成してきた中華秩序の崩壊と申せます。このことを、隣国である朝鮮やときの幕府はどのように感じたのでしょうか?


3)極東である日本に、1853年ペリーは4隻の軍艦で来航しました。アメリカがわが国に開国を迫った真の理由は何か?軍艦できたことが気がかりです。


4)脅しに屈した幕府は翌年開国をし、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも不平等条約の締結を余儀なくされる。これは欧米が日本を半植民地化したと言えるし、結果的に開国に伴う徳川幕府の瓦解で誰が得をしたのでしょうか?・・・・・・・


5)欧米の植民地支配拡大策に、清国、朝鮮はなす術もなく、わが日本も明治新政府に変わるも幕府の負の遺産を引継ぐこととなりますが・・・・・

 明治新政府の首脳は、不平等条約を撤回のために、近代国民国家を目指し欧米列強がつくりあげてきた国際法を受容しようと決断し、自前の大日本帝国憲法の制定をすることによって打破しようとしました。

 1894年の日英通商航海条約を結んだイギリスの魂胆は何か? 治外法権の撤廃悲願の延長線上にある日清戦争の勝利が、本当に日本を一等国に押し上げある第一歩だったのでしょうか?


6)日露戦争の勝利は、わが国の軍事力ではなく、アメリカの仲裁によるものであった認識が日本にはありません。日本が世界列強の仲間入りを形の上で成遂げましたが、かえって白人社会に「黄禍論」を根強く持たせる要因を招いたと思いませんか?
1907年の日露協約調印は、日本は仲裁国アメリカを敵に廻してしまったではありませんか?


7)1910年の韓国併合に関して、わが国はイギリス、アメリカ、ロシア、清国、韓国への気遣いは皆無だったのでしょうか?


8)1914年第1次世界大戦がオーストリアの皇太子が暗殺されることによって、三国同盟側(オーストリア、ドイツ、イタリア)と三国協商側(フランス、イギリス、ロシア)間で戦争が勃発しましたが、この戦争を回避することは出来なかったのでしょうか?


9)第一次世界大戦は、今までの戦争と全く違う「破壊戦争」となりました。日本は日英同盟に基づいて参戦し多大な損害を蒙ることなく勝利?中国でのドイツが持っていた権益を引き継ぐこととなりましたが、中国を半植民地化することへの躊躇は無かったのでしょうか?


10)第一次世界大戦後、更にわが国とアメリカの関係がギクシャクし、この関係が修復できない侭、「自存自衛とアジアを欧米の支配から開放し、大東亞共栄圏を建設する」として、大東亜戦争に突入する(この間は時間的には極めて短期間でありながら、世情は目まぐるしく変わり、何がなんだか、何がどうしてと良く分かりません)。

 幕閣や明治を興した先人の思いとは裏腹に、経済が国益として顕著に示され、ABCD包囲網で追い詰められる。謂わば経済戦争なのに、わが国は算盤勘定に一番疎い軍人が国政の主導権を握る。もはやわが国は、恰も坂道を転げ落ちるが如くの観があります。

 挙句の果て、白人社会の連合国が抱く、黄禍論を立証するが如き原子爆弾を広島、長崎に投下され、無差別に数多の市民の命を奪われに及んで、1945年8月10日ポツダム宣言を受諾する。

 しかし・・・
大東亜戦争は、日本の失脚を願う大国によって、はなから仕組まれた筋書きに、外交駆け引きが未熟な日本が乗せられた嫌いはなか?ハルノートはそのだめ押しでなかったか?

 昭和21年11月3日に発布された日本国憲法について、改憲が盛んに叫ば
れておりますが、我々は18世紀からの欧米、清国(現在の中国と中華民国)、朝鮮(現在の韓国と北朝鮮)、ロシアと日本の関わりの史実を冷静に見つめ直すことが必要では?

 今の日本は、求める情報を自由に分析するを保障している国です。一時(いっとき)の国益を求めて国の方向を誤らせてはいけない。

 国際協調も重要な課題である。人が人として当たり前に、人権や生命が最
大限尊重されなければならないことは、隣国北朝鮮の現状を垣間見る時
、国の形は一握りの特権階級のためにあるものでは、決してないことは、今の日本人ならば誰でも理解できる筈。国民が餓死し、或は強制収容所で牛馬の如き扱いを受けている映像は、現代を生きる我々が人としての責務として、早急に開放せねばならないとも思える。最も協調すべき隣国である中国や韓国を、かって半植民地化した史実は否定できない。何故、隣国とは戦の繰返しなのであろうか?政は即ち覇権故か?

 人が人を客体として利することは、卑劣で非人道的な行いであり、被害を受けた人々のこころの襞(ひだ)に深く喰い入って恨みと化するを史記は諭しているではありませんか。人も国家も政(まつりごと)においても同じと感じます。

 憲法が抱える課題を論議することは確かに大切であります。然し歴史を十分に振り返って、将来を遠望するこころが必要であり、キライや短慮な邪まは国を必ず誤らすことを感じた平成17年の憲法記念日でした。

            【参考文献:新しい歴史教科書・扶桑社】



4.【自主研究:須坂の防災と治安】


第一章 相之島排水機場機能停止事故発生

 須坂市は、平成17年2月21付にて、平成16年10月21日に発生した相之島町排水機場の1号ポンプ、2号ポンプの「相之島排水機場ポンプ原動機停止事故原因究明調査に関する報告書」を議会に提出した。
 それによると・・・


1) 相之島排水機場の役割と排水能力

 八木沢川は通常は相之島排水機場(以下、排水機場)の下を流れ、吐出槽を経て直接千曲川に流れ込むようになっている。千曲川が増水し水位があがると八木沢川の水位の水位より高くなると八木沢川への逆流を防ぐために、八木沢川のゲートを閉め、排水機場に設けられたポンプを稼動させ八木沢川の水に圧力をかけて吐出槽に流し込み、吐出槽の水位を千曲川の水位より上げることにより、八木沢川の水を強制的に千曲川に流し込むことにより、相之島地籍の洪水を防げる構造になっている。


 排水機場には、4台のポンプが設置されている。1、2号ポンプは250t/分、3号ポンプは100t/分、4号ポンプは600t/分の排水能力がある。これらをフル稼働した場合には最大1200t/分の水量を千曲川に排水する能力があるとされている。



2) なぜ災害時に排水ポンプが停止したのか?

 このことについて須坂市は、「相之島排水機場ポンプ原動機停止事故原因究明調査グループ」を立ち上げて原因の究明(メンバーは長野工業高等専門学校(国立長野高専)の倉澤英夫、宮尾芳一、羽田喜昭、信州大学工学部飯尾昭一郎とする流体力学や摩擦、エンジンに関しての専門の諸先生)に依頼した。


 専門家の調査研究の報告は以下のとおりである。

@ 排水機場運転履歴にみるポンプ運転状況
平成16年10月21日午前5時30分に、排水機場を操作している市職員が「1、2号ポンプ駆動機関に逆転の発生を確認し、非常停止させた」ことに端を発する。
 「相之島排水機場運転履歴」から読み取ると、水位が上がって来たので、まず4号ポンプは、20日午後1時に、1号、2号ポンプは午後1時30分に順次運転開始されている。その後、「何らかの原因による駆動機関回転数の低下」が発生し、更に「ポンプ及び駆動機関の停止」があり、「ポンプの逆転に伴う駆動機関の逆転発生」が現れ、依って「ポンプ、駆動機関の強制停止」の判断で21日午前5時30分、1号、2号ポンプは非常停止させ、同時に3号ポンプを運転開始させた。その後2号ポンプを、21日午後2時10分運転再開させるも、同日午後3時に再び非常停止している。

 3号ポンプは正常運転を続け、22日午前7時に(千曲川の)水位が下がったので停止させ、4号ポンプも終始異常なく22日午後4時40分に水位が更に下がったので停止させたことが読み取れる。

第二章  北相之島町地籍を遊水池化してはならない!

@ 1.2号ポンプ駆動機関の逆転と停止の原因

第一章で1号、2号ポンプが非情停止した経緯を記しましたが、然らば停止原因は何だったのであろうか?

 報告書は、ポンプに出力以上の負荷がかかったとする。そして過負荷の原因を、T.ポンプ設置時には予想の出来ない異常降雨量であった。U.経年に伴いポンプ、エンジンの性能が低下している。V.河川の環境変化がポンプ性能へ悪影響を与えているし、ポンプに最も負荷のかかるクランク軸の主軸受部、主軸受に潤滑油が供給されず、かなり長い時間にわたり逆回転し焼損したと考えると結んでいる。



A 排水機場は非常時に稼動するのもである。

 機場は梅雨時や台風時の大雨により、千曲川の水が土手内に逆流するを防ぐためにそもそも設置されている設備であることを忘れてはなるまい。非常時の時にしか稼動しないことを使命とする。万が一の非常時に1号ポンプ250t/分、2号ポンプ250t/分のあわせて500t/分が同時に機能しないとすれば、これは最早人災ではないか!当てにならない機場は機場とは言えない。

 テニスで有名なウインブルドンの芝コートは、大会が開催される僅か2週間のために、残りの340日余りは芝の養生がなされている話は有名だが、千曲川が満水になり、機場を稼動させる日が年に何日あるだろうか?私は機場守(きじょうもり)という役を設けて、この職員に緊急時に機場に駆けつけ操作をするのではなく、通年機場に通いポンプに油を注し、ポンプを試し運転する等の職務が必要と考えている。生涯を転任なしで千曲川との戦いにあてて貰う責任ある役職である。

 千曲川は昭和40年代初頭は「翌日警報」として、大雨の翌日に水かさが上がったが、現在は「即日警報」となっている。都市や山に降った雨足が速くなって千曲川に集まるからである。

 扇状地の先には大河がある。この地理的条件は恒久的な宿命であってどうしようもない絶対条件であるが、須坂市は、福島排水機場と相之島排水機場の2箇所をもって千曲川からの水害による人命と田畑を守っている。

 我々は有史以来千曲川と共に歩んで今日がある。機場が機場としての機能を果たさないと、それこそ相之島地籍にとどまらず、日野地域は千曲川の遊水池と化し、未曾有な損害を須坂市(県、国)は蒙ることとなる。これを如何に回避すべきかである。


6.【小・中学校関係情報】



 1)森上小学校職員歓送迎会に出席し、保護者の皆様からの要望をお聞きし、更なる懇親を深めました。



12.【お寄せ頂いた会員の声】


@ 公用車入札について得心が行かないと小職に陳情があり、処理:担当部局に申し出て、申出人と共に入札に関わる疑義を質しました。(5/20)

A 井上保育園出入口に「横断歩道」を設けて欲しい。処理:担当課に調査を要請。



16【北信鏡】4/24昊翔流吟道会 /25市民相談 /26泉小路活性化の会 /総務文教委員会、行政視察打合せ /28市民相談 5/2地蔵尊 /5市民相談 /6泉小路活性の会 /7蛍雪会 /8市民相談 /9臨時議会、議会運営委員会、全員協議会 /11〜13総務文教委員会行政視察 /14行政相談 /15市民相談 /16教育委員会 /17社協監査会、泉小路活性の会 /18行政懇談 /19市民相談 /20全員協議会、市民相談 /21定時制閉校事業 /23泉小路活性化の会設立総会 /24社協理事会 /25市民相談、教育委員会 /26会派代表者会議 /27社協評議員会、定数検討委員会、市民相談 /28戸隠散策 /29市民相談



発行日 平成17年5月29日   編集:発行人 須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎
fax 026-245-5673 Tel 026-245-0050 須坂市墨坂南1丁目(境沢町)