雪融けて 胸なでおろして 雀舞う 壽茶
會報ことぶき 月報(No.77) 2005年2月号 |
(須坂市議会議員佐藤壽三郎議員活動詳報) |
【コラム・千曲のかなた】 |
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● 須坂も氷点下10度まで冷え込みました【佐藤壽三郎メールマガジン68号】 暦は、我々の先祖が歩んできた、生活した幾歳の足跡の統計であると私は思っております。 暦の上では今が大寒。我家の庭には、よく銭湯で見かけたあの大きな寒暖計が設置してあります。今朝は何と何とマイナス10度と赤柱が縮んでおりました。なるほどと暦に感服し、寒さを凌ぐため 「お〜ィお茶!」 信州は、この厳寒があるからダニ類が越冬できず死滅するとかで、人間の健康にも良いと説明されて来ましたが、昨今は建築工法や断熱材の改良も進んで、一歩屋内に入ると夏みたいな環境の家が多くなりました。新家屋に居候するダニ類も、お蔭で越冬できることになり、このことによる環境変化を懸念する学者もおります。 さてこの時季、将来の須坂を担う受験生諸君は、寒さも関係なく最後の追い込みのはず。人生のこの時機をちんたらしないで、不屈の闘志で大関に返り咲いた栃東のように、「負けてたまるか!」と言い聞かせ、眠くなったり腹が減ったら、干し柿や芋干しをかじって、最後まで諦めないで頑張って欲しいものですなぁ。 |
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● 君知るや この歯痒さ! 【佐藤壽三郎メールマガジン第69号】 1月27日28日と、市議会議会運営委員会は、いわき市議会と栃木市議会を訪ねて、議会改革への一考の教えを請いました。 「一問一答方式」について、いわき市議会は平成13年11月議会から実施、栃木市議会は平成15年9月議会に導入。そして須坂市議会は遅れること平成16年6月議会からであります。 さて、私の「対面式議会」の提唱は、平成11年3月議会でした。若しあの時に須坂市議会が、全国の市町村議会に先んじて、対面式を採用していたならば、「日本で真っ先に導入した須坂」としての栄冠は、この須坂市民に誉れとして与えられたのであります。愚かしい「新人議員アレルギー」が、大きく歳月を空転させたところに須坂の悲劇があります。 須坂市議会が、私の提唱を故意に聞き流し、「改革先送り」の結果が、みすみす全国の市で人並みの順位に甘んじなければならないことを、平気でしてしまう最大の要因は、須坂市に蔓延(はびこ)る、社会的身分や門地等の柵(しがらみ)にあります。 何故ならば、私は憲法が高らかに謳う「須坂市並びに須坂市民は公正と信義を信頼して、市民の安全と生存を保持し、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭をこの須坂から永遠に除去する町を先んじて目指し、これが全国に及ぶことにより、国民より名誉ある地位を、この須坂が占めたい」と希(こいねが)う気持ちが、須坂に住まう皆様よりちょっとばかし強くあります。 心ない人から、「逆上(のぼ)せの極みだ!」と謗(そし)られても、嗤(わら)われても、これが私を選んでくださった皆さんに対する、議員としての使命と感じております。 |
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● ずくを出して財政再建 【佐藤壽三郎メールマガジン第70号】 須坂市の旧市街地は扇状地に発達したまちで明徳団地と境沢町では、およそ100mの高低差がある。因って、南北に走る道は縦道として須らく坂であり、東西に走る道は、道路行政が主眼でなかった江戸時代には、生活の知恵として等高線状に道を造ったらしい。道幅を広くすることは、坂下部分を盛土する必要があるので、利便性と経済性を考えてると、必然道幅が狭いまま発展しました。この横道が走る旧市街地は、建て並ぶ家屋もあり、日当りも悪く必然冬は踏み固められた雪が氷とかし、道路は亀の背中のように盛り上がる。歩行はもとより車も安閑として走れない状況は、今も昔も何ら変わりはない。 今年は、例年にない大雪となった。ご多分に漏れず「小路」と名の付く横道は車の走行も侭ならない。住民の皆様から「除雪して欲しい要望」は、生活を維持するための悲痛の叫びとして、市や議員事務所に寄せられたが、漸くここで泉小路、青木新道、大門小路、旧地方事務所通りの除雪が適えられた。このことについて、市民は行政の力のなせる業として評価している。 幼い頃は車も少なく、道路が子どもらの遊び場であったこともあり、生活道路として「雪かき」の幅さえ確保されていれば、生活は事足りたものであったが、自動車社会の現代ではそれが許されない。 さてさて、「突発的な事態発生に関わる市民の要望への実現」は極めて金のかかるものである。市が除雪をする。市民には短絡的に税の徴収がなされないから、市民は「タダ」のように感じているが、実は世の中は「タダ」なものは何も無いことを自覚すべきである。第1回臨時議会に除雪費用として2,200万円余りが計上される。言いたいことは、「自分で出来ることは、極力自分でする」ことの「ずく」出しこそ、須坂が自立し続けることにつながる財政再建策と感じる。 |
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● 歴史は繰り返す (佐藤壽三郎メールマガジン第71号) 「今の世の諸侯は、大も小も皆首を垂れて町人に無心をいひ、江戸、京都、大坂、其外処々の富商を憑(たのん)で、其の続け計(ばかり)にて世を渡る。邑入(むらいり)をば悉く其方(そのほう)に振向け置て、収納の時節には、子銭家より倉を封ずる類也。子銭家とは金銭を借す者を云う。邑入にて償ひても猶足らず、常に債を責められて、其罪を謝するに安き心もなく、子銭家を見ては鬼神を畏(おそ)るゝ如く、士を忘れて町人に俯伏し、或は重代の宝器を典当して時の急を免れ、家人をば飢さして子銭家をば珍膳して饗し、或は子銭家とて故もなき商買(しょうこ)の輩に禄俸を与えて家臣の列に入れ、或は貰(おぎの)りたる物の直(あたい)を償はず」【徳川吉宗・男の一生:泉秀樹著・三笠書房から引用】 これは、今から276年前の江戸時代中期の享保14年に、荻生徂徠の弟子であり、信濃国は飯田出身の太宰春台(長野県歌・信濃の国にでも謳われている儒学者)が「経済録」に記したものであります。 徳川幕府が1603年に開闢してから凡そ130年にして、春台は当時の世情を憂慮し、幕府の行く末を憂慮し、此の侭では瓦解するを予測しているともとれる文章ではありませんか・・・・・・ いつの世も、国、県。市町村の財政破綻は、詰る所、住民の心を荒廃させ、子銭家が暗躍し、これに蔓延(はびこ)る様は、将に歴史は繰返すと申しますが、余りにも現代と酷似していると思いませんか・・・・・・ |
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● 裕次郎映画に青春をかぶせて!(佐藤壽三郎メールマガジン第72号) 私も含めて、中高年紳士がスナックのカラオケで、一番歌うのは「石原裕次郎」の唄ではないでしょうか。誰かが「裕次郎」ものを歌うと、後はこれに続けと、皆で裕次郎の唄ばかりを歌います。スナックは裕次郎アワーと化します。裕次郎の人気は衰えません。 さて、「北の旅人」という彼が晩年に歌った名曲がありますが、ここで裕次郎ファンならば、実は昭和37年リリースした「赤いハンカチ」とB面「露子に逢いたい」(2年後に映画化)。そして時が流れて、平成2年に吹き込んだ「北の旅人」は三点セットとしてとらえると、そこに裕次郎の「レッド ハンカチ ランド」があることに最近気が付きました。 裕次郎ファンならば、是非とも三曲を一気に歌って、裕次郎ワールドに浸りながら、グラスを傾けてください。きっと青春が俄かに蘇りますよ! 映画「赤いハンカチ」の粗筋は、今更ここで記することは「ヤボ」なので止します。封切り当時(昭和39年)、スーパースター裕次郎も浅丘ルリ子も若くて、裕次郎に成りきって映画に見入る私自身も、弱冠17歳でした。裕次郎を「男らしい!」と思いました。 当時の邦画配給は2本立て、3本立ての興行であり、例えば「赤いハンカチ」をいま一回観ようとすると、映画館で半日時間を潰さなければなりませんでした。すこぶる時間の無駄と、多くの人は感じたはずです。 東京(都会)の映画館は、興行が一本上映の映画館もあり(最近は地方の映画館も見受けられる)、見たい映画があれば、凡そ上映時間が1時間半程度なことや、時間があれば好きなだけ何回も見れることが、とても気に入り利用しました。 洋画の場合は、初回は筋を知るために字幕を追い、2回目は出演者の演技を見るに専念し、感動したらアンパンをかじりながら(煎餅は音がして怒られる!)、三度目を見ることもありました。 映画はすばらしい! 須坂に4っもあった映画館が今は1っも無いのが残念! その意味でも、メセナ(須坂市)が主宰する「名作映画館」は価値がある。しかし、文芸作品ばかりでなく、裕次郎や高倉健の名作も検討して欲しいなぁ! 理由は、そこに男の世界と青春があるからである! |
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● 魚歌水心 (佐藤壽三郎メールマガジン第73号) 先ごろ行なわれた、「平成17年2月議会人事議会」について、各方面から色々と感想を求められます。敢えて答えるならば・・・・・・・・・・ 私は、学生時代に何遍も読んだ「宮本武蔵」を、今ときを経て、静かに読み返しています。 あれから34年、表紙こそカバーで色褪せておりませんが、紙の黄ばみは縁に留まらず、頁を開くと黄ばみは頁の中央にまで進んでおります。しかし・・・・・・・・・ 刷り込まれている文は、益々輝きを増し、二十歳代に理解できなかった件(くだり)も、この歳になって初めて素直に理解できることもあり、人情の機微をひしひしと感じます。 私の心に残っていたこの文章こそ、今回の議長選を如実に語ってくれると思います・・・・・ 技(わざ)か天佑か? 否・・・・・とは直ぐにいえるが、武蔵にも分からなかった。漠(ばく)とした言葉のまゝいえば、力や天佑以上のものである。小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。 【 中 略 】 「生ける間は、人間から憎悪や愛執は除けない。 時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。 【 中 略 】 波騒(なみざい)は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍(おど)る。 けれど誰が知ろう、百尺下の水の心を。 水の深さを。」 【宮本武蔵・(第6巻)圓明の巻・魚歌水心。吉川英治著。釜Z興出版部より引用】 |
1.【 2月臨時議会のあらまし 】 |
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1)−1.議長選、副議長選関係 議長に善財文夫議員を選出 当選 善財文夫 13票 次点 永井康彦 9票 無効 2票 副議長に佐藤庄司議員を選出 当選 佐藤庄司 13票 次点 橋本達男 10票 無効 1票 1)−2.市議会会派構成 市議会の会派数が7会派に再編される。 この度の議長選に絡んで、市民からその存在性が疑問視され非難が高まった保守系の2会派は再編! 会派政和会から新風会が分裂して2会派。会派新政会は一旦解散し、高志会と須坂フォーラムとして旗揚げた。 分裂、或は解散した二大会派が、「開かれた須坂市議会改革推進」において、形骸化と疲弊した部分の改善に繕いを見せながらも、行き詰まっていたことは事実であります。 してみれば、これは時代の趨勢でありますが、然し、器を変えてみても議員の資質や体質に変化が無いとすれば、所詮は雲集霧散の繰り返しに終わるのではないかと懸念する人もおります。 会派の資質や特質が市民に分かり易くなった分、等閑(なおざり)が利かなくなり片手間議員の排除につながると歓迎してます。 自由クラブ、市民21、共産の3会派は、分派や解散もなく、植木議長から善財議長に代わっても、新たに政和会と4会派連合を取り交わし、今後も議会与党の立場で、三木市政に是々非々で臨み、「市民が須坂に住むことの誇りと歓び」の実現をするために、主役は5万5千市民であることを忘れずに、今後も励みます。
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2).議会運営委員会 1.議会運営委員会は行政視察を敢行! 昨年10月に予定されていた行政視察は、23号台風や中越地震のために順延されていましたが、1月27・28日に敢行され、いわき市(福島県)、栃木市(栃木県)の市議会を訪ね、「議会改革」の進捗について、教えを請いました。 2.日時平成17年2月4日午前11時半〜。第三委員会室。欠席委員:なし 議題 イ).議会報編集委員会を「市議会広報特別委員会」として設置する。 委員定数=会派構成員5人以上は2人、4人までは1人を選出する。 ロ).議長の任期を1年とする改正案 提唱者:自由クラブ 理由:議員を4期5期を務めた議員は、 市民の選挙を経た人である以上、長幼の理を示すべきである。 他会派の賛同を得られず見合わせとなった。 ハ). 議会運営委員会の構成等について 常任委員長は、議会運営委員になれることに改正。 ニ). 第一回臨時会(議長改選)の議事日程の確認 3.2月15日、16日 断続的に数回開かれ、議長選、副議長選、常任委員会等の選出を行なうための調整。 |
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3).会派代表者会議 2月15日、16日、断続的に議会運営委員会に合わせて開かれ、自派議員の常任委員会等の委員の割振りをしました。 |
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4).総務・文教委員会関係 須坂市文化芸術協会の交流会が開催されました。 1月22日午後6時半より、中央公民館において新年交流会が参加団体のリーダー等が凡そ130名が参加し交流会を行われ、小職は総務文教副委員長の職分で出席しました。 席上、「新・須坂小唄」の新作舞踊が披露されました。 |
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5).全員協議会 1.市は実施計画を議会に説明 平成17年2月4日午前10時より、議会第4委員会室において、総務部企画課は3ヵ年実施計画を議会に説明しました。 市は、長期的な財政運営を苦慮し。その事業の必要性(効果)・重要性・緊急性及び財政負担の軽減等に配慮し、長期的展望に立った適性な事業内容になるよう留意し作成したと強調! 【新規事業 平成17年度分として】 @健康増進推進事業340万円 A永楽荘下水道整備800万円 B老人福祉施設整備1,100万円 C身体・知的障害者のケアプラン作成事業100万円 D小中学校補助教員配置事業1,420万円 E小・中学校情報ネットワーク860万円 F小中学校耐震診断事業900万円G霊園施設整備事業930万円 H音楽隊制服整備 200万円 I農業グループ活性化事業100万円 J食と農の基本計画策定50万円 K手作り農村支援事業 70万円 L地域創業支援事業 500万円 M市営中央駐車場整備事業 740万円 N就業支援センター事業260万円 O農業小学校事業 140万円 P庁舎管理業務630万円Q固定資産税課税資料整備事業 1,120万円 |
2.【私の議会外議員活動】 |
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○ SOトーチランin SUZAKAに凡そ350名が参加 1月23日午後1時よりふれあい館まゆぐら前でセレモニーを行い、その後、市内を消防ラッパ隊の先導で市内にくり出ました。小職は市議会議員の職分で開会式に参加しました。 @ SOトーチランin SUZAKAに参加 A須坂市文化芸術協会の交流会 B境沢町総会 C境沢農林部総会 D須坂高等学校定時制閉校記念事業発起人会 |
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○ 2期有志議員は、民営化について学習 1月25日午後1時より第三委員会室にて、2期有志議員が出席して学習会を持ちました。今回は「市民サービスの民間委託・民営化」と題して、「自治体の民営化・民間委託推進の限界」等7項目を、当番講師を佐藤壽三郎市議として、凡そ2時間学習・意見交換 を行いました。 学習会は定例議会がある月を除いて、議員順番に「当番講師」として、自分が関心のあるテーマを仲間に講義することによって、お互いに学習効果を図る目的で、1期の時から足掛け7年間行っております。 |
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○ 雪害状況を実情調査しました。 1月24日午前中、私は市民の皆様から寄せられた苦情を自分の目で確かめるため、泉小路、青木新道、劇場通り、本町通り、寿泉院から大手、大門小路等を歩いて廻りました。偶々視察中、まちづくり推進部長も周辺を実情視察して居られたので、同道して実情を把握し、対策解消手段を進言しました。 |
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○ 泉小路活性化で四市議が意見の合意をみる! 泉小路を、何とかして活性化し、かっての如く人々が行き交う街に復興させるために、泉小路に関わりの深い卯之原議員、永井光明議員、佐藤寿三郎議員が相談をし、泉小路復興のために尽力を尽くす申し合わせをしました。 私はご存知のとおり「生まれも育ちも泉小路」ですので、思い入れは一入であります。生まれ在所の皆様が復活するための手立てを一緒に考えて、一歩でも実現に向けての努力を惜しみません。 |
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○ 二期議員の緊急集会 平成17年2月4日午後3時より第三委員会室にて開催。 議会の緊急課題と取組について協議しましたが、きな臭さを感じて、話合いに進展 はありませんでした。 |
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○ 泉小路活性化のために、地域住民が立ち上がりました。 市街地上部に位置する「泉小路」は上町、穀町、北原町に恰も境界線のように横に伸びた延長凡そ300mほどの横道であります 製糸業が盛んであった時代から昭和40年代までは、商店が軒を連ね、夕方の混雑時には人々が群れをなして行き交い、毎日が縁日のような人出でありました。スーパーの出現や車社会への移行が、泉小路に容赦なく襲いかかり、萎んだ街になってしまいました。「何とかこの小路を再生したい思いを込めた人たちが集まり、個々の利益の保持ではなく、皆でこの街に住み続けるための行動を起こそうや」と、市議4人(永井光明、永井康彦、卯之原卯吉、佐藤壽三郎の各市議)の呼掛けに、この町で生計を立てている人たちは拳を挙げました。「生まれも育ちも泉小路」である私は、この町を再生するためにあらゆる英知をかき集めて、生まれ在所の復興に力を注ぎます。 |
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○ 善光寺での「長野光明まつり」にお出かけください。寒気が余計に幻想的です! 善光寺さんの違う顔がありました。行けない人は写真で我慢されたい。女房が寒い思いをして撮って着ました。 |
【北信鏡】1/26教育委員長と懇談、市民相談対応 /27〜28総務文教委員会現地視察 /29泉小路活性化の会 /30 市民相談対応、境沢町総会 /31市民相談対応、行政相談対応 2/1区長面談、市議面談、市民相談、道路現場検証 /2 区長面談、市民相談 /3市民相談、福島小火出動 /4 議会登庁、二期学習会 /5 境沢町農林部、泉小路活性化の会 /行政相談対応、議運 /8宅建業者研修 /11 議員面談対応 /12二期会 /14 三派合同会議 /15〜16第1回臨時会 17〜19日 自由クラブ行政視察 /20 議員面談 /21 市民相談(長野出向) /22会派代表者会議、議会運営委員会 /23 市職員面談対応 /24 教育委員会と協議 /25 常盤中学訪問、4会派調整会議、泉小路活性化の会 /26 須坂高校定時制閉校記念事業発起人会 |