會報ことぶき 月報(No.29) 2001年7月号
(佐藤壽三郎市議会議員活動報告)
【市町村合併問題について・なにかがおかしい】 長野地方事務所長は、管内の市町村に恰も特命を帯びたかの如く出向いて、「市町村合併は国の構造改革に伴い避けることのできない緊急課題」を力説する。會報28にも記載したとおり、所長が我々議員に「国家の押し付ける構造改革を、そのまま鵜呑みにし、これを市民に説得することが議員の務めだ。」と押し付けようと思っているならばお門違いである。不肖、私が議員である以上このような恐慌的な威圧に屈するわけには須坂は行かない。そのような手法による国家統治を、私は青春時代に我が師より学んでいない。市町村の議会に出向いて県職員が結果的に指示する形態の講演を実施すること自体が可笑しい。 はたしてインテリ知事の指示なのか否か疑念を持つ。県は、市町村合併を行政機関が扱う申請手続の一形態として捉え、行政機関のなすべき許認可や承認ぐらいに考えているのであるまいか。あるいは国家の火の車の台所事情を、市町村に押し付けて地方交付税を削減しようとする「付回し」は、封建時代ならともかくも、わが国の国民主権主義憲法が保障する地方自治の本旨に反する行為ではあるまいか。地方分権を推進すれば潰れる自治体は出て当たり前の話である。それが不名誉であればこそ、各自治体はプライドを賭けて英知を絞るのである。私は市議会議員として、国や県のお先棒を担ぐ気はさらさらない。須坂市の市民から選ばれた議会議員として、須坂の利益を常に念頭において須坂の市民の意思に忠実でありたい。 長野地方事務所長が、高山村に赴き「避けることのできない合併」を力説し、いわんや須坂市の議会での講演において「合併の賛成・反対を高山村議選のおり明確に意思表示すべしと、出馬を予定している議員に忠告している。」との、のぼせ発言もしている。市町村議員選挙を何と心得ておるのか。「公務員の選挙不関与と立候補者の発言の保障として」この所長発言は問題となろう。県職員の立場を弁えぬ発言としか思えない。 高山村における合併対象は、須坂市か小布施町が一応の仮想合併自治体と推測される。一地方事務所所長の一連の発言が、須坂5万5千、小布施1万2千の住民の自治意識を全く無視し、逆なでする発言であることは事実である。我々が重畳的にもつ市民、県民そして国民の身分も考え合わせても、地方事務所の所長にそんな権限を付与した覚えは無い。戦時中の官選知事時代を彷彿させる中央集権国家の忌まわしい行動ではないか。上意下達を判に押した所業にうんざりする。寧ろ所長より私は、「市町村合併を回避するために、長野県の組織自体を解体する彷徨とあり方をまず考えている。」位の研究提唱がなされると期待したが、折りあらば是非お聞かせ願いたいと思っています。 【議会機能を復権することの提唱】 理由は、 これらは、当時在野で行政書士業務を通じて垣間見た議員への率直な感想でした。私が議員になって漸く市民から『須坂も民主主義の風が吹き始めた』と言われるようになりました。知事と市議会議員の立場の違いはありますが、皆様に提唱した「議会の復権」のための施策は、政治に一番身近な須坂市政が肝要であります。須坂市政が変革すれば上高井は変革され、長野県が変革されるのです。逆に国⇒県⇒市町村と変革される。「合併論」の手法がまずいと私が縷縷記述する根幹はここにあります。これは真の民主主義の構図ではありません。国や県が主役の場合、歴史的に見るとこれは後年『変』と呼ばれます。これは寧ろ独裁政治であり、独裁者の上位下達にすぎません。議会の設置がなかった封建時代ならともかくも、最も封建社会では議会はありませんでしたが、近代民主主義のバロメーターは、国家の極限状態のときに、議会が如何に市民益を時の国家権力者から護れるかにかかっているものと思います(既配の會報のうち、創刊号、第2号巻頭、bQ,bT,第3号11,第4号20ご参照ください)。
凡そ150年前の幕末は薩摩・長州に譲りましたが、このたびの国の改革は須坂を中心に展開させたいと思います。当時、幕閣の若年寄にて慶喜将軍に封建社会の終焉なるを諌死をもって示した藩主直虎公の心意気を、とき経た今こそ天下は目を見開いて見つめ直す必要があります。 私は高校時代に、機あらば進学し学問を修めたい一心から、臥竜山興国寺の講堂に寝起きし勉強をしました。午前零時になると決まって部屋を出て、臥竜山中腹にある観音堂と直虎公のお霊屋に詣で、観音様には志の祈願成就をお霊屋には殿様の非業の最期への鎮魂を願って手を合わせました。もはや拝謁も叶わない直虎公の墓前に進み、「私が若し江戸時代生きていたら、殿様を無駄死にさせなかったものを。いつかきっと、私が殿様のご無念を天下に晴らします。どうかその日までお待ちください。」と毎日墓前で誓った日があったればこそ、今日、議員になりえた一因とも思っています。議員として是々非々の発言をつらつら言えるのも、直虎公の墓前での誓いがあるからだと思っております。 当時の興国寺界隈は、鬱蒼とした竹やぶであり、現在のテニスコート周辺は水田やりんご畑であり、現在の県民グランド辺りは一面の荒涼とした賽の河原のような雰囲気の河原であり、人も寄り付かない地であり、禅寺興国寺はまさに山寺と江戸時代の名残が色濃く残っていました。夜中にお霊屋にお参りをし、観音堂の縁側に座っていると、蒼天には数え切れない星があり、地球が自転する息遣いや根子岳がお月さんと会話をしているような囁きが聞こえたり、やがて蒼く嘶く八町山連山や百々川の銀糸に光る川面の自然の会話が賑やかになり、お霊屋を取り囲む家臣団の骸も精気を取り戻し、辺りは和むような気配がありました。このように青春時代に自然と対話したり、息遣いを聞いたりできた時間がたっぷりあったことは、私の宝であり、母はじめ姉弟妹に感謝しています。 現在、須坂の上町や常盤町界隈を散策して感ずることは、須坂は幕末の心意気が息づくまちであります。須坂人ならば、一度は臥竜山に鎮座おわします直虎公のお霊屋に額ずき、心静に直虎公のみ霊を弔い、直虎公の邦を思う故に死を賭した行動に、深甚なる敬意と思慕を巡らすべきであるまいかと感じます。 =閑話休題=
![]() 【須坂病院、結核及び第2種感染病等の設置について】 6月21日記す 長野県衛生部よりこの旨の通知を得たことの報告を全員協議会において健康福祉部長より受けた。 思うに、長野県の設備であるからの下達として唯々諾々に従うはおかしい。須坂市と長野県は対等・協力関係でなければならないのに、県立病院を作って頂くという県に対する「お上」感覚は捨てて、須坂市と十分協議がなされての設置であるようにされたい発言しました。 【大連貿易促進委員会の使者、須坂市を表敬訪問】 思うに、大連は中国東北部の重要な玄関であることは、今も昔も変わりません。とき経て平和の今こそ、環日本海交易を語るときです。ウラジポストク、小樽に面する北海道、本州、九州に至る日本海沿岸港湾都市、釜山、ソウル、ピョンヤンを含める大陸半島、大連、上海、福州、香港に至る中国沿岸、台湾、フィリピンまでの極東交易の発展こそが歴史的にも、先駆者が何遍も挑んだ言わば宿命的に繰り返されるうねりであります。米国との国交を主軸にしながらも、極東諸国との交易を図る。あるいは、米国との主軸の展開を極東交易に投影させる。加工貿易日本が原産国になれない宿命を忘れかけている現在、重工業都市にはなれない内陸に位置する須坂は、須坂の人材をもって極東で交易をする。須坂が民間交易を進めるためにも、大連を橋頭堡として推進すべきと思います。 【市内循環バス『ほほえみ』の概要】 思うに、核家族が進むなかでの高齢者世帯の足は奪われつつある。交通整備がなされている大都会ではいざ知らず明日にも河東線は廃止になるやもしれない地方都市では深刻な問題である。福祉バスは今後も路線を広げざるを得ないと思うが、将来複数路線を維持するために市営交通局を持つほど須坂は財政があるわけではない。高いと風評の長野電鉄の路線バスの運賃との兼ね合いからして、ますます拍車がかかると予想されるが、今のうちに将来の基本構想を描く必要もあろう。試行錯誤をしても市民の足として確保せざるを得ない時代が来たと言える。 【日野保育園移転改築工事の概要】
【会派の活動】 ![]() 【中心市街地活性化に関心が無い議員に、市街地の活性化の妙手を問うこと無かれ】 私は、中心市街地活性化を提唱し、具体的施策を会報にて記述してきました(既配の會報のうち、創刊号p1、第2号のNO,3,NO.5,NO.6,NO.7、第3号のNO.15、第4号巻頭、NO.16,NO.17,NO.21をご参照ください)。会派の議員の大勢は中心市街地を論ずることの必要性を認めても、特別委員会の設立を認めない状態であります。 思うに、この3月議会で中心市街地活性化特別委員会が廃止されたことに深い疑念をもっています。特別委員会を設立すべきです。市政の最重点課題であるべき中心市街地の復興を、常任委員会である経済文教委員会に一任するはおかしいしと思います。なぜならば結果的に権力の集中であります。また農村部選出議員は、中心市街地の斜陽に全く興味を示しません。しかし問題を彼らに問うのではなく、町場に育だち、町場の復興を願う議員に問うべきです。一の委員会に時事問題が集中し結果的に充分な討議がなされないで、何もしないで議員任期を徒過するは許されません。名誉のために議員になったのではないからです。 【商工会議所五明専務理事と会談】 【地域活動】 【中央政界通信】 ○小泉総理は、「民間ができることは民間に任せよう」という立場で見直し作業を進めるよう石原担当大臣に指示。平成13年度、特養ホームは15,000人を収容する施設を新たに計画していると発言。 〇自由民主党山崎 拓幹事長来信。ホテル国際21にて7月18日自民党懇談会が開会され出席しました。 【北信濃鏡】6/22大連貿易促進委員会使者市長・商工会議所会頭と面会 /23後援會例会/28議会報校正 /29議会報編集委取材、野球部結団式 6/3福祉バス発着式 /4坂田浄水場視察、森上小学校訪問、政和会会議 /5日野保育園地鎮祭 /6ホタル視察 /7ホタル観察/10編集委員会、議員懇談会 /11商工会議所 /13編集委員会、商工会議所 /15南部球技大会 /18自民党懇談会 /19親善野球 |
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発行日・配信日 平成13年(2001年)7月23日 編 集 長 須坂市議会議員 佐藤壽三郎 発行責任者 壽會佐藤壽三郎後援会 竹村 徹志 長野県須坂市墨坂南一丁目6番23号 ←米子不動滝 |