留守の間に 辺り一面 雪化粧  壽茶


會 報  こ と ぶ き 1 1 月 月 報 ( 9)1999年11月号
  (佐藤壽三郎市議会議員活動・後援会報告) 初版



【参議院補欠選挙の考察】


 国政選挙を今までは一有権者として茶の間で観ていたが、今回は舞台の袖で見させて頂いた。当然舞台裏を垣間見ることが出来たが、8時半の開票速報で早々流れた『羽田候補当確』のテロップは何を意味するか。自民党惨敗?
この度の補欠選には、自民党は小渕総裁を初め錚々たる『お偉方』がここ長野・須坂まで繰り出した。全国が注目した言わば『連立小渕内閣信任』の審判でもあった。『お偉方』が来られることは一向に差し支えないが、その度に動員を掛けられた市議会議員はあったものではない。市議の本分は歓迎の小旗振り要員では無いはずだが・・・


 自民党は、先頃自民党の顔として総裁選を張った加藤紘一幹事長や山崎拓前政調会長の顔はついぞ拝顔できず、況んや連立を組んでいる自由党の小沢党首や公明党の神崎代表のご尊顔を拝することも叶わなかった。現在の政界を左右している実力者小沢一郎党首とは、何をさておいてもお会いする機会を得たかった。
一方民主党はどうか、鳩山党首を初め、菅前党首、横路前総務会長までがセットで応援に駆けつけ熱弁を奮った。この違いが自尊心高い信州人を痛く傷つけたようである。一枚岩でない自民党と長野県に地盤がないから出張らない自由党。昨日まで自民党といがみ合っていた公明党が、一体で掌を返したように笛吹いて鼓を叩いたとしても、自尊心高い信州人(有権者)は素直に踊れようかという声が囁かられた。そして審判が下った。


 『自自公連立内閣の成立に対する審判』を、長野県民は『ノー』と下した。

 自民党県連は10月24日総務会・選対委員会・職域支部長合同会議を開いて惨敗した補欠選を受けての対応策を協議した。その中で、敗因は@自自公政権に対する有権者の理解が不十分だった。A短期間で国会議員や県議の組織がフル回転できなかった。B候補者のアピール度が足りなかった等を挙げたと信毎(25日付)は報じている。


 果たしてそれだけであったのだろうか?・・・・・民主党も一枚岩とはとても思えない。であれば、民主党の羽田としての戦ではなかったのかも知れない。羽田氏の補欠選東信区域(東信濃、上田・佐久地方を指す)での得票数の驚異的な比率を御覧じろ、新聞を前に私は今から400年前のある出来事を思い出した。


 知る人ぞ知る『徳川秀忠別動隊1万5千が、中仙道を関が原の合戦に加勢するため駆けつける途中、真田昌幸・幸村親子立てこもる上田城を、行き掛けの駄賃として軽くこなし、功名をあげんと戦を仕掛けたが、秀忠は散々たる敗北とさらに関が原に遅参した恥辱を一生負わねばならなくなった』あの歴史上の事件である。してみれば、今回は武田信玄の戦国時代まで溯る伝統で、時の権力者に迎合しない東信の武士(もののふ)魂が今も脈々と流れている様は、自民党の負け戦であったけれど、敵ながら羽田陣営は天晴れと言わざるを得まい。寧ろこの度の補欠選は東信の気風に負けたものとして、後々まで『羽田太平記』として語り継がれることを許してしまった。東信の気風が実に羨ましい!須坂人もかくありたい。


【市街地活性化委員会】
長浜市の黒壁スクヱア、七尾市・のTMO計画を視察


【地元に関係ある政界の動き】
 ☆11/5山口長志氏(屋部町)が市長選出馬表明
 ☆11/11現職須坂市長永井順裕氏も公式に出馬表明。
 ◎来春早々に衆議院解散か?!


【後援会活動】
 有志で長野電鉄謝恩旅行に便乗し、尾張三ケ根地方に11月28〜29日出掛 けます。余席が若干あります。ご希望の方は後援会事務所まで、ご一報ください。

《議員日誌》 10/18参議院補欠選投票日/19後援者焼香 /18壽会会報推敲、速報配信/19焼香/20議会報校正/22 農業委員会懇親会、焼香、永井会合 /23 寿会月例会 /24焼香/26須高行政定例会 /27焼香/28焼香、市議母堂本明(もとめ)儀逝去享年86歳 /30元徳寺にて市議母堂葬儀執行、11/2市長・議長外に挨拶廻/3焼香/4中市街活性委員会/5街づくり講演会/7境沢町文化祭/8~9中心市街地委員会で長浜市・七尾市視察 /10建水委員会視察と勉強会 /11高甫農集排水竣工式、永井順裕氏を励ます会/14・区長と協議、焼香/15~17政和会研修、焼津市、日進市を視察。



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発行日・配信日:平成11年11月16日 
発行人市議会議員 佐藤壽三郎
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