失いかけている信義の二字


 最近の日本人は大切な「信義」の二字を失いかけてはいないだろうか・・・

 例えば、同級会開催の通知を出すも、半数は出欠の回答をうんともすんとも言って来ない。還暦を過ぎているのに未だに「〇〇ちゃんは出席しますか?」と問合わせてきて、「欠席」と伝えると「じゃぁ私も欠席」とまるで低次元な小学生もどきの理由付けでしかない。

 会の催しものに至っては「出席する」と前日面前で確認しておきながらも、へっちゃらで約束を破る御仁が毎回二、三人は出る。翌日になっても侘びの電話一つない。このようなことに、一々立腹していてはいけないのだろうか。いつの頃からか、日本人は受け答えを拒否する人種に成り下がってしまったのであろうか。

 「約束をした以上、約束は守る。出来ない約束は端(はな)からするな。事情があって出席できなくなったときは、直ちに断りを入れて詫びろ」を小さい時から躾けられた私にとって、ずるずるべったな煮え切らない態度は腑に落ちない。

 民法に「心裡留保」という定義がある。心の内で思っていることと、口に出して或いは行為がちぐはぐな行為は、実は本人しか知らないことであるが、このようなねじれ行為や騙し行為は法的には無効である。換言すれば法的に保護されない行為であると言うことだが、時代がどんなに変わっても、人間関係は第一に信義が問われるものではないか。『騙しうち行為」は許されるものでは決して無い。

 「信義」とは、嘘をつかないことと私は解している。

 「信義」は石よりも重く硬いものと歳月を重ねて来たものを、現代人はねじ巻きでなくこの上ない正確なクヲォーツ時計を持ち、場所を選ばず連絡が取れる携帯電話がありながら、便利すぎて大切な心が色褪せてしまっているように思えてならない・・・

2011/11/15記す。