第11号  統合版特別号 

須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎



私のマニフェスト「5つの提唱」の進捗状況について


1. 議会の機能の復権をはかり、議会制民主主義を主軸とした市政運営を目指します。

  
1節 地方分権時代の市議会議員の役割は重責です。
  
 市議会議員も政治家の端くれであります。「一寸の虫にも5分の魂」と言われますが、私は市政を通じて県政にも国政にも物申す心意気をもって市議会議員を務めています。「政治とは何か」は、自問自答のなかで常に脳裡から離れないものでありますが、『政治とは』と学問的に記述するならば、@さまざまな理想、理念、政策を実現していくこと A権力闘争 B社会の中で人々の期待や利害を調整して共同行動を秩序づけて行くことと分類されます。


 さて、@についてはこれからの地方分権時代の議員像であって、@を地方議員が推し進めると、国家機構や国家秩序との兼ね合いから、統治が中央集権から分割統治あるいは江戸時代のような幕藩体制化し、日本が連邦国家となってしまいます。この点、明治新政府になるまでは、日本は朝廷と幕府の二元政治であり、幕府と諸藩との関係は主君と家臣の関係で、言うなれば藩主は支店長的色合いが強かったのかとも思えますが、地方自治が進めば進むほど、国の形態は連邦制を敷かざるをえないと感じます。然し、須坂市はあくまでも日本国という統一国家における「地域自治」であることから、国家の緩やかな「拘束」を受けることは当然の理であります。


 Aについては、「権益や利権」が背後にあります。国政レベルの争いであり、議員内閣制を敷く国政と、二元代表制を引く地方政治とは覇権の形態が異なります。しかし、地方分権時代が円熟すれば、首長の職務権限は従前とは比較にならないほど強大に為ります。これに呼応して議会の権限を拡大しておかなければ、首長と議会との牽制関係(チェック&バランス)は保たれなくなることが懸念されます。法律もこれを想定して、平成12年の地方自治法改正により、議会の検閲検査権(自治法98条)や調査権(自治法100条)などの執行機関に対する監視的権能は、自治事務の場合にはすべてに及ぶとされており、機関委任事務には及ばなかった議会の調査権が、法定受託事務に及ぶこととなりました。市議会がこれらの権能を使いこなせるかが大きな課題です。


 Bこそが、市議会議員の働き場であると感じます。市<県<国の関係が、市民=県民=国民の関係となり、本来の市民が主権者であることからすれば、そもそも階級的に分けることが無意味であります。市<県<国が地方分権一括法により「協力・対等関係」である以上、市議会議員の役割は、最も行政に接している市民の多様な要望や政策に対する期待や利害を調整して、市民間の協同行動を秩序づけて行くことであると思います。市議会議員の役目は戦前の「名誉職」であった言わば「首長の言うことは如意」から、首(市長)の公約(マニフェスト)が、市民益に適うか否か、或は「議会に示される施策」を今やるときか否かを断じ、時に共鳴し時に阻止することを市民負託の名の下に使い分けが出来る権能を課せられたものが議員であり、これらを行使しうる機関が議会であると私は思います。須坂市議会が俄かに他市町村から注目されるようになったのは、私が市議会議員に平成11年になってから「しがやみや先例を不磨の大典的としてひがみついて形骸化した市議会を改革できたのも、時代に即した市議会に大手術が出来た源はここにあると思います。


  2節 変革する地方自治のあり方と須坂市

 現行憲法は第8章で「地方自治」制度を国民に保障しているが、前述のとおり明治憲法下では地方自治制度は無かった。そもそも中央集権国家の仕組みを強固に推し進める明治新政府の機構頭の中には、「統治手段としての地方自治の権能や地方自治の容認」などは想定外のことであり、当然に地方自治制度は国家統制によって官治的色彩の強いものであった。第1章で「刺身のつま」と記述したのは、このことを意味するのであります。


 県や市町村は、国から独立した人格を認められたが、官選知事、内務大臣の厳格なコントロールの下に置かれていた。この制度の下で育んだ官僚や政治家が、俄かに国民主権と唱えて、戦後の動乱期に法律を起案しても、出来あがる法律は所詮「主権在民」が欠けているのは当然であろう。県会議員や市町村議員は地域の大地主や実業家といった地域の名士でなければなれない名誉職であり、官選知事や地方のボスがその椅子についていた市町村長の言いなり議会であったことは明白な事実であります。


 新憲法下での地方自治法は、将に地方行政の根幹に関わる法律であるが、これと並んで地方公務員法、地方財政法、地方税法、公職選挙法等をみても、憲法との整合性が保たれているとは言え、問題は法の精神をどんなに高らかに唱えても、明治憲法の影響が強く残った終戦直後に作られたこれらの法は、民主主義の模倣のための法律であった節もあり、戦後60年は地方自治こそ暗中模索の歴史であったと言えまいか。地方に行けば行くほど旧態依然の統治が行なわれていた部分は未だに残ると思いませんか。


 私は、「政府と地方政府の市民に対する役割や仕組みを見直すことが必要では」とする疑問は、行政書士になって見て大いに感じていた。さらに市議会議員になってこの思いは増長されました。


 2000年4月の地方分権一括法が施行され、法的には国と地方の関係が対等・協力となったが、実際は国家からの呪縛から解放されたとは、とても言えない関係が今日も続いている。それは何か?中央政府が統治形態を変えても、がっちりと財布(財政)を握って離さないところに一番の原因があり、2003年になされた「三位一体改革」は中々進んでいない。本来は機構や組織と財政は一体の作用をせねばならないはずだが、これでは、早稲田大学大学院北川正恭教授が断じられるように「まやかし改革」と言われても政府は詮方ないだろうと思います。


 北川教授の意味する、「地方自治は地方公共団体という政府のお先棒団体から、今や地方政府へ思考を変える時代」に突入する判断は私も同感である。国の役割と地方の役割の分担こそが必要な時代であります。


 田中康夫長野県知事も、既成の柵(しがらみ)や体質を瓦解或は溶解させるに心血を注がれている。彼は幕府をぶち壊した勝海舟とも言えるし、ソ連を解体したゴルバチョフ大統領とも思える。長野県という既成の組織を一旦解体して、その後に新時代に対応できる「長野県」を構築しようとしているように思えてならない。或は小泉純一郎自民党総裁(内閣総理大臣)が「自民党ぶち壊し論」を掲げているが、考え方の根底は総理と知事は、「柵を破らん」とすることについては、一脈相通じるところがあるのではないかと思います。



2. 心市街地の商工業者の復興を図り、街に活気を取り戻します。

 市街地上部に位置する「泉小路」は、上町、穀町、北原町に恰も境界線のように横に伸びた延長凡そ300mほどの横道であります。製糸業が盛んであった時代から昭和40年代までは、映画館を中心に商店が軒を連ね、夕方の混雑時には人々が群れをなして行き交い、毎日が縁日のような人出でありました。スーパーの出現や車社会への移行が、泉小路に容赦なく襲いかかり、萎んだ街になってしまいました。「何とかこの小路を再生したい思いを込めた人たちが集まり、個々の利益の保持ではなく、皆でこの街に住み続けるための行動を起こそうや」とする市議4人(永井光明、永井康彦、卯之原卯吉、佐藤壽三郎の各市議)の呼掛けに、この町で生計を立てている人たちは行政に対する不信を抱きながらも、泉小路活性化のために「泉小路活性の会」の組織を立上げ、地域住民が立ち上がったのが今年の5月末でした。そして10月6日には、北原町公会堂にて、三木市長も出席されて、上町、穀町、北原町の三町と泉小路活性化の会合同主催の「住民懇談会」が開催され、『都市計画・八町線』の盛んな意見交換がなされるに至っております。明らかに整備計画に向けて動輪が動いたと申せます。


 「生まれも育ちも泉小路」である私は、大正・昭和・平成と時々の町会議員や市議会議員が「泉小路復活」を提唱されましたが、どうすることも出来ませんでした。私はこの町を再生するためにあらゆる英知を搾り出して、生まれ在所の復興に力を注ぎます。泉小路に限らず、中心市街地で生計を営まれる商工業者の皆さんの活気の取り戻すことこそが、結果的に雇用を促し、流通が盛んになれば、人々が街に集まり或いは住むために郊外から戻る。街中に活気のある掛け声が戻り、このことにより須坂市の財政も結果的に潤うことは経済の理であるからです。



3. 須坂の子弟は、須坂が育てる教育をします。

   1節 いじめは許さない!

 私は平成16年12月定例会の総務文教委員会で「常盤中学校生徒の自殺事件に係る損害賠償請求事件は早期に和解がなるように努力をされたい」と概ね次のように発言しました。


 「この訴訟報道がなされるたびに心が痛みます。先ず須坂市民として、「1人の前途ある中学生であった前島優作君が、いじめによって自から命を絶った事実」を冷静に受け止めるべきだからです。わが子が自ら命を絶ったことを知った親なれば、きっと前島章良さんの如く、息子の無念さを、やるせない口惜しさを、いたたまれない悲しみを、そして最愛の息子が、確かにこの須坂に生まれ、かく生きて、そして告げることなく若干13歳で命を絶った証(あかし)を、この世に刻む行為をするでしょう。それが親としてのせめてもの息子への鎮魂なのであります。


  仮に、自分の子どもが理不尽ないじめに遭って命を絶ったならば、親として、兄弟として、果たして傍観者で居れるだろうか。真実を解きほどくためにあらゆる術(すべ)を使うだろう。してみれば彼が裁判を起こしたことを咎(とが)めたり、侮蔑(ぶべつ)し、嘲(あざ)笑う行為は許さざる所業と言える。


  我々は、無垢の気持ちで優作君の御霊に合掌することが必要である。花に例えるならば蕾(つぼみ)で散ってしまった優作君の冥福を、市民みんなで祈ろうではないか。


  同級生や幼馴染は、生涯に亘って彼を忘れることはあるまい。友とはそう言うものである。死んだ優作君を不憫と感じたそのときは、素直に手を合せる優しさがあって欲しい。生ある限り優作君を心に抱いて、口惜しく生きねばならない両親や家族の心中を推し量って労(いた)わる心が必要だ。それが人の人たる所以(ゆえん)ではないだろうか」と。


  須坂市は包容力をもって、一日も早くご遺族に笑顔が戻る努力をしてあげるべきである。何故なら、ご遺族も亦須坂市民であり、子々孫々がこの須坂で生計をたてる同胞であることを、我々は忘れてはなるまい。況や、ご遺族を理由の如何を問わず、万が一でも須坂から石持ちて追いやるようなことなどはあってはならない。みんなで「労わる」手を差しのべようではないか。「須坂の子弟は須坂が育てる」意義は茲にあると感じます。


 (須坂市議会は平成17年5月9日臨時市議会を開催し、全員一致で和解案を議決し、長野地方裁判所において平成17年6月に和解が成立したしました。)



  2節 学校・学友は生涯に亘る財産と心得らるべし 

 私は、平成12年9月定例会、平成14年6月定例会、平成14年12月定例会、平成17年9月定例会、平成17年12月定例会で、峰の原高原に住まう児童・生徒を是非、同胞である仁礼小学校、東地学校で学べる施策を執ることが望ましい姿であることを訴えてきました。


 昭和48年度、6名の児童・生徒を菅平小・中学校に区域外通学として、真田町へお願いをいたしました。翌年は、7名の児童を真田町へ、同じく区域外通学としてお願いをしております。その後、住民もふえ、児童・生徒数も多くなりましたが、通学の利便性や安全性を優先し、真田町教育委員会に引き続きお願いし現在に至っているものでございます。」の答弁から推察するに、真田町との教育事務の委託はあったと解釈すべきであり、真田町が上田市に合併する事務手続のおいては、「読み替え」でことが足りると思料しますが、何故に平成17年12月議会に「教育事務の委託」が上程されたのか不可解であります。


 教育委員会は、真剣に「須坂の子弟の行く末」を考えておるのかと思うとき、「等閑(なおざり)の心あり」との評価を下さるをえません。真田町が上田市に合併するこの機会こそ、峰の原高原地区に住まう児童・生徒を須坂市で学ばせよう。須坂5万4千人の市民としての目線で育む姿勢が伝わって来ないからであります。



  3節 子どもは家族の宝、地域の宝、須坂の宝

 日本はいつの頃からか、何故、こんなに物騒で無秩序な国に成り下がってしまったのでしょうか。親がわが子をいびり殺す、同級生を邪心から殺害する等、余りにも痛ましい記事ばかりであります。私は、議員になって延べ十数回、一般質問において、「夜道でも女性が独りで歩ける須坂」を実現すべく唱えておりますが、昨年11月18日に起きた奈良市の女子児童誘拐殺人事件か1年経った、11月22日に起きた広島女子児童殺害、そして事件も覚めやらぬ12月1日に、栃木県今市市の少女が、矢張り下校途中で拉致され殺害されてしまいました。


 「子ども白書2005年版」によると、「広がる子どもの犯罪被害場所」として、分類では都市と地方に分けてありますが、須坂を地方として捉えてみると、被害場所は1位が、道路で38%、2位がその他で36%、以下、駐車場、公園、建物の中であります。一方、子どもが犯罪の被害に時に何をしていたか?については、一位が、学校の登下校の途中であったが45%。2位がその他、3位が外で遊んでいた、と、買い物の行き帰りの途中が共に11%、4位は塾や習い事行き帰りとのことであります。此データーが示すように、前段で申上げた痛ましい殺人事件は、何れも共通しているのは、学校からの帰り道の途中であったことことであり、「子ども白書」の信憑性の高さを知るとともに、であれば、これらのデーターに基づいた「学校の登下校の子どもたちの安全をどう守るか」の対策が、児童・生徒の生命・身体を守ることに資することを心得られて、須坂市は対策を立てられるべきであると思います。


 須坂市は、他市に先んじて、全児童・生徒に防犯ベルの配布が行われておりますが、防犯ベル配布の効果があったのか、防犯ベルがランドセルにいわいつけっれていては、いざと言うときに、何の役にもたちませんが、このようなことも含めて、子どもらにきめ細かな指導をして、慈しみをもって育てることが大切であると確信します。子どもは家族の宝であり、地域社会の宝であり、そして須坂の宝だからです。



4. できることを分かち合い、温もりのある社会福祉を実現します。


  1節 泣いて馬謖(ばしよく)を斬る思い

 平成17年3月議会の焦点は、「養護老人ホーム寿楽園」が須坂市直営から民営化される議案提出が提出されたにも拘わらず、多くの議員は醒めていた。一体この醒めは如何したことか?


 「寿楽園」の民営化は、平成16年6月議会の福祉環境委員会で、それも議会としては何の拘束性もない「調査研究」項目で、担当職員の手からなされたものである。

 その後の記録をみると、定例会期間中以外に、2回も行政手続として何ら覇束性が生じない、寧ろ違法性が疑われる委員会を開いている。会期外の委員会を開いては、議会の議決のないままに事実認定として寿楽園民営化が推し進められてきたものである。市長や市職員にとっての「議会制民主主義」とはお飾りなのであろうか?須坂市は市議会本会議が全てであるはずだが!


 須坂市直営の寿楽園の歴史を今更語る必要はあるまい。然し施設を開園以来、「経済的にも、精神的にも、家庭的にも恵まれない、全てを失ってしまった身寄りのない市民」が、「最後の止まり木」として養護老人ホーム・寿楽園に入園されることは、今も昔も変わりはない。須坂市は名実ともに「終の住処」を提供してきた誇りがあった筈だか・・・


「代替の施設があるならば、それで良いではないか!」
「寧ろ快適な生活が約束される!」
「措置に変わりはないのだから、利用者に不利益はない!」


 果たして、そうだろうか?
市が言う「快適な生活を、全てを失ってしまった身寄りのない彼らは欲しているだろうか?」「彼らが欲しているのは、ビクビクした不安のない終身の安らぎのある場所と日々」ではあるまいか?「終の住処」とは尤も崇高な基本的人権が保持される場所に他ならないからです。


 「行政裁量」とか「法的措置」が、極めて職員の「恣意」が介在する処分とすれば、これは只事ではない。「養護老人ホーム」への入居者は全てが健常者でないことも理解できるが、環境上の理由や経済的理由による健常者を、介護保険制度で賄うことには無理があるようにも思える。しかし、どうも国は老人施策を十把一絡げにする心算なのか?遠き日々の悲劇が今日まで伝えられる「姨捨伝説の悲劇」を忘れてはなりません。


 「行政不信」と私が唱える根底には、「須坂市が直営にこだわってきたものを、市長が交替し且つ市長が「民営と唱える」と、いとも簡単に一言も諫言を呈する勇気を持たない市職員の態度には、詰まるところ「こころがない」と感じるからである。「須坂は須坂たる」を信条としながら進める私の民営論と、市長の財政難故の民営論とには些か隔たりがある。


 「政(まつりごと)とは、古今東西を問わず民への温もり」であると感じる。温もりのある福祉を敢然と追求します。



5. 行政事務の民営化をはかり、市職員の大幅削減を唱えます。

   1節 民営化を図るべし

 公務員天国は是正されるべきです。民営化は時代の流れであります。国も「国会を解散」してまで民営化を強固に進めたではありませんか。須坂市も「寿楽園」を民営化の口火として樋門を開けつつあります。「寿楽園」は須坂市が誇る福祉施設でもありましたが、民営化推進論者の小生は前記のとおり「泣いて馬謖(ばしよく)を斬(き)る」思いで賛成しました。


 なぜならば、小職が平成12年3月定例会の一般質問で民営化の推進を次のように唱えました。「具体的には、すべての福祉事業、保育、ごみ処理などの事業を積極的に民営化し、民間のきめ細かなノウハウを導入すべきであります。また、将来は公民館、体育施設、生涯学習センター、メセナ、女性室、児童館などの運用や公共施設管理も民営化とし、須坂市自身が機構改革、組織改革を図りスリムになることにより地域産業は活性化すると思います。民営化の促進と小さな行政庁の構築こそが、須坂市が他の市町村に先駆け、地方の時代をリードする自治体になれる」と・・・


 構造改革や財政改革は、三位一体や合併推進として国から須坂に「これでもか!これでもか!」と突きつけられる。然し、「この須坂に生れた子供たちの未来を大切に思っている」が故に、国家からの圧力を跳ね返す。自立のためにも必死に民営化に取組まなければならないからであります。況や国政の場で議する「郵政の民営化」は言わずもがなであります。


 市町村は、尤も身近な住民のための公務であるにせよ、鉛筆はこれ以上使用に耐えない短さまで、使おうとする役所の倹約は大いに必要です。然しこれとても必ず限界があると思います。小職は市議会議員出馬にあたって職員の大幅削減を提唱した。須坂市は僕が目標に掲げ200名削減に向けて突き進んで行かざるを得ない状況下にあります。議会も含めて小さな市役所(行政庁)こそが、須坂市の財政建直しの急務であります。


 民主主義は、首長や議員が4年毎に入れ替わりますが、公務員が終身雇用を保障されている?ところに民主主義の矛盾を感じてなりません。これでは官僚、市役所職員の天下であって、何のための首長・議員の公選制なのか、議会制民主主義なのかが分からない。国是を形とおりに具現するならば、公務員の終身雇用論理はどこにも出てこないはずだが。僕の唱える公務員10年毎の再雇用説は将に茲にあります。


 県内の市町村でも、読売新聞の取材によると、「深刻化する財政難を背景に1日現在、条例で助役または収入役を不在にしているのは、県内市町村の4割近い39市町村もあることが、読売新聞長野支局の調べで分かった。条例によらず空席になっているケースも含めると、助役と収入役のどちらかを置いていないのは53市町村に上る」(読売新聞長野版平成17年4月3日付から引用)とあります。自治体三役を欠く事には、法的保護の一番弱い部分を衝いているに過ぎず、十分な論議が必要と感じますが、いずれにしても市町村は自立を賭けている意気込みが十分窺えるではありませんか。


 法務省は、民間の刑務所を全国に2箇所実現にむけて進めていることを考えても、時代 は官から民に溶解していると言える。日本が国際社会で名誉ある地位を占めたいならば、外交的に相応の強調と分担も必要であることは分かるが、然し外国に外面を良くして、内政財政が瀕死になって国民を泣かせるようなことがあってはならない。幕末の井伊大老が抱えた開国の課題は、実は国家として存立させるための永遠の課題なのかもしれません。
 

   2節 須坂市議会の議員定数の動向

 私は平成11年2月に市議会議員に初当選をいたしましたが、市議会は法定定数30議席を、28議席から26議席と削減、平成15年市議選では更に24議席と削減しながらも、今年2月に市議会定数等改革検討委員会を設置して、議会の役割や権能と定数の拘りを侃侃諤諤の討議を進めながら、定数20名で議会運営が可能か否かを模索しております。市議会は須坂市民の有権者から直接選挙で選ばれた議員によって構成される、須坂市の意志決定機関であります。


 2004年4月の地方分権一括法施行により、国の機関事務が廃止されたことと相俟って、首長の権限が拡大されたことと相関して、市議会の関与はほぼ全事務に拡大し役割は一変したと言える。このことによって、市議会に課せられた本来の予算や条例を議決する役目や、監視的な権限や専決処分の承認等について、本格的な地方分権時代における議会の役割と責任を慮るとき、併せて再考すべき肝心なことは、地方分権時代に対応した議員活動を如何に保障すべきかが、地方分権時代の須坂を問う要であると思います。私は「身の丈に合った小さな須坂行政庁」を標榜し、市職員の削減を唱える議員である以上、「櫂より始よ」と議員の削減を実践しています。


 平成10年度の須坂市の正規職員数は617名でありました。平成17年10月現在の正規職員数は524名であり、私は「小さな行政庁・職員削減」を提唱し続けて足掛け7年で90名もの削減が行われて来た事実、更に職員削減は加速度を増さざるを得ない選択と確信を致しております。


                        【平成17年12月24日記す】


【参考文献:ガバナンス・ぎょうせい/ 月刊新聞ダイジェスト/ 法学セミナー・日本評論社/ 法学教室・有斐閣/ デバイス憲法・早稲田経営出版/ 地方栄えて、日本は 破産:村野まさよし著・講談社/ 地方政治が危ない:樺嶋秀吉著・サンドケー出版  局/ 政は官をどう凌ぐか:金子仁洋著・講談社/ 構造改革戦略と自治体:自治体問題研究所・自治体研究社/ 自治体アウトソーシング:自治体研究社/公務の民営化と公務労働:西山敏外2名共著・大月書店/ これからの世界と日本:長谷川慶太郎・PHP】