新宿駅のプラットホーム


 東京に出たての頃の話である・・・
 武蔵小金井に住んでいたことがある。毎朝国電で新宿駅に出たが、ラッシュは田舎で過ごした19年間は経験が全くなく、ぎゅうぎゅう詰めの電車にはホドホド参ったものである。

 新宿駅のプラットホームに車内から吐き出されるように降りる。都会の朝は兎にも角にも忙しい。そんな駅の構内で閑散としているプラットホームがあった。雑踏と喧騒のなかで何とした景色かと思いながらも、遅刻は許されないので忙しく二幸前のバス停に急ぐ毎日であった。

 休日に新宿に出たので、私は閑散としていたプラットホームに登ってみた。甲府・松本方面の表示があった。
「あぁ新宿は中央東線の始発駅で、これがその専用ホームなのか」と合点がいった。ホームのベンチに座っていると遠く信州の松本の空気を乗せて山吹色と深緑の車体の急行「アルプス」が入線して来た。乗客が我先に降りて来たので、私は郷里の顔見知りの人はいないか真剣に顔から顔を追ったが、知っている人は誰も居なかった・・・

 「急行・アルプス」は、間もなく折り返し運転で信濃路を目指して発車して行った。松本から更に郷里長野に通じる線路かと思うと中央線は親しみが持てたものである。

昭和52年に発売された「狩人のあずさ2号」は、都会人とりわけ信濃路に来たことのない人々に、「行ってみたい憧れの地」の印象を強烈に与えた。思えば34年も前の思い出の歌である。
2011/10/14記す。