選挙は今も昔も浪花節にて御座候

 第46回衆議院選は下馬評とおり自民党の大勝となった。自民党が圧倒的支持率があったわけでもないのに、民主党や未来の落潮は目を覆いたくなる様である。平家の滅亡かとも、はたまた関が原の敗走もこのようなものであったのかと思わせるかのごとく、民主党幕府の瓦解を史実として現代は映像で報じられた。現代は民主主義政治である故に「無血」ではあるが、「無血」ゆえに生き恥を晒すこととなる。

 3年3ヶ月前の総選挙は、マニフェストを高らかに掲げた民主党が破竹の勢いで進撃を続け、政権を担当していた自民党から政権を奪ったまでは良かったが、余りにも高邁な理想を掲げたことと財政の後ろ付けが無かったことや、小澤幹事長が訴訟問題で行動が制約され、民主党はマニフェストの指揮者を失い徐々に失速した。更に昨年の3.11東日本大震災に対する統率力のなさが国民に実行力がないと評価され、この度の総選挙での大敗につながった。更に大臣の無能力ぶりや不祥事も国民の顰蹙を買ったと言える。「坊主肉けりゃ袈裟まで憎い」の喩えがあるが、小澤一郎代議士が「民主党の原則にたちかえれ」を唱えて旗揚げした「国民の生活が第一党」は、総選挙間際に急遽看板を書き換えで「日本未来の党」とし現有勢力を保とうとしたが、石垣が崩壊しはじめた民主党の分派と看做され、「今更何事ぞ・・・」とまやかしと国民の目には映ったために惨敗したと言える。民主党は余りにも短命な政権でありながらにして、然し総理大臣と大臣だけは目まぐるしく交替した、歴史に悪名高き大臣乱造内閣であったと言える。

 480議席の当選者が報じられるなか、県内ではエリートの道を捨て政治家を志すも、幾度か落選の苦汁をなめられるもこのたび当選し「自民新」に輝く務台俊介候補者や、先回の衆議院選で落選され「自民党元」の当選の名前が光る後藤茂之候補者、宮下一郎候補者の皆さんは、捲土重来を一縷の希望とし、臥薪嘗胆の不屈の気迫が復活を叶えたと思える。信念を曲げなかった真の勇者に心から祝福を申上げる。願わくば、我が朋友も捲土重来に浴して欲しかったと思うが望は叶えられなかった。

 選挙は非情冷徹なものであるが、その分結果として泣き笑いがつきまとう。投じられる一票には様々な人間模様が交錯するものであるからだ。今衆議院選挙で浪花節(浪曲)として讃えられる政治家として「亀井静香候補者と選挙民の絆」を私は挙げたい。彼はエリート官僚から政治家となり、自民党時代は次期総理大臣との呼び声も高かったが、郵政民営化で小泉純一総理と袂を分かち国民新党を立党した。民主党と連立を組むも、煮え切らない民主党とに嫌気をさし連立の解消を宣言すると、何と仲間から党首の座を追われた彼の生き様こそ、私は彼に「武士(もののふ)」を見る。亀井静香候補の涙を誘う当選挨拶を君は見たか!将に浪花節の世界でキッラと光る生き様ではないか。

 亀井静香氏然り、務台俊介氏亦然り、この二人の候補者には日本人が憧れ称賛する生き様があるではないか。候補者と支持者との間には、捨てがたい人間臭さである義理と人情の織りなす縄模様がある。これこそが青少年に大きな希望と勇気を与える人生の手本である。西郷隆盛曰く「幾たびか辛酸を歴て、志し始めて堅し。丈夫は玉砕するも甎全を愧ず」と。有権者の心を掴むのは候補者の武骨で妥協のない真摯な生き様でしかない。


平成24年11月24日記す