歴史考察の狭間で


 市議会議員には、決まった夏休みがありません。私はお盆に幕末関係の書物をもう一度読み返しました。現下の国政を慮るに、近代日本が一番フレームを変えた転換期を問うと、それは幕末から明治であると感じるからです。須坂の舵取りを託された議員として、どうしても幕末日本の歴史の再考察が必要と感じてならないからであります。松陰、晋作、井伊直弼、西郷、大久保、勝麟太郎と時代を越えて書物空間で対話をしました。

 幕末、維新という時代が、ときの流れのなかで評価が固められてゆく。いわば物質が恰もコロイドからゲルとなりつつある。あるいは一方で風化してゆくと言える。明確な評価がされたものもあれば、未だに評価ができない部分が多分にある。歴史上『謎の部分』と言われている部分です。興味をもって、この謎に部分に評価をなす作業をすると、周知の資料と、歴史の闇に消された資料があることがわかります。このことは人物にも当てはまります。
 
 どう相対的に判断しても辻褄が合わない部分の空洞です。例えば、坂本竜馬の「船中八策」は彼がはたして創作したものか? 種本はなかったのか? 彼は勝麟太郎の使者としての域をでなかった人物ではなったのか? 法律の基礎知識を土佐藩時代に修得した形跡はないのに、俄か法学徒が、当時一般的でない議政局(議会)とか議員等の用語もさることながら、国家体制の変革の骨子を謳う「船中八策」を立案するはちょっと無理がありはしないか? 勝の受け売りであれば辻褄があうが? 竜馬は、稀代の歴史小説家司馬遼太郎によって、作り上げられた偶像ではないか?等あれこれ疑問が湧いてきます。


2002/09/13 (金)