述懐・母のおむすび
                                      泉小路 萬良
 
 おむすびは、団塊の世代の僕らが幼い時に食べた形や中に入る具までが、最近は随分変ってしまった。


 先日、現代の人気おむすびのベスト5がTVで報じられていた。1位が海老天むす、2位 たらこ、以下は紅鮭、明太子、ごま昆布の順だとか。僕らに馴染みのある「梅」は何と第6位であった。


 小学校、中学時代の遠足や運動会、高校時代の登山や修学旅行や遠出のときは、母が握ってくれたおむすびが主役であった。母は、遠足の日などは姉や弟そして妹の分を寄せると20個を超えるおむすびを、早く起きてご飯を炊いて作ってくれたものだったが、握り終えるころの母の手は、ご飯の熱気で真赤であった・・・

 リックサックはおむすびの重みであった。無事に目的地について、愈々昼飯を取るとき、新聞紙から取り出すおむすびは、なんとも言えない海苔の香りがした。むすびをかじると、梅漬けの色に染まったご飯と海苔の香りがなんとも言えぬ旨みであって、香りの向こうに母の面影が浮かんだものだった。


 「田中角栄先生が、いざ選挙のときは、お袋様が握ってくれる塩が吹き出た鮭の切り身がそのまま一つ入っている、大きな握り飯がスタミナ源であった」と、秘書の早坂茂三氏が述懐されているが、何か通じるところがある。


 母が握ってくれたおむすびに、いま一つ旨いものがあった。味噌で包んだおむすびである。これはこびれ(おやつ)として、見ている前で握ってくれたものであるが、遊んで帰って夕食までの腹のすいている僕にとっては、どんな食べ物より旨かった。弟も妹も皆幸せそのものの顔をして食べたものだった。


 世代が変わった・・・・・・・
母にとって孫である私の子ども達が祖母を訪ねると、祖母は「お腹すいていないか?」と言っては、おむすびを握ってくださったと、祖母との思い出を私に語ってくれたことがある。「祖母とおむすび」の思い出があることは、子どもたちにとっても、きっと生涯に亘っての宝になるであろう。


 母のおむすびが食べられなくなって、9年になろうとしている。心の裡にはいつも母が共生しているが・・・
おむすびを手にする度に母の懐かしい味を思い出す。已矣哉。 



                                     平成19年7月記す