なりすましは犯罪だ


 須坂市民の最大の欠点は、「ふりをする」ことに長けていることであり、「ふりをする」人が何と多い町だと感じませんか。

 「建前と本音の使い分けができるのが大人(たいじん)だ」と公然と憚かることもなく言い放つ人もいます。民法では「心裡留保」による法律行為は、一切保護されません。この小賢しい人々が、実は須坂を駄目にして来た輩であることに気が付かなければ、こんな輩が牛耳るとしたら須坂市のあらゆる分野の発展は望めません。「ふりをする」行為は、実は背信行為の何ものでもなく、最も人心を弄(なぶ)る行為であり、卑しい行為であると言えます。

 次の須坂を背負う青少年が、「ふりをする」ことは卑しいことであることに気づき、地域のしがらみや地縁に押し潰されることなく、自由に須坂のためにものが言える勇気を持って欲しいと思います。

 ルールに則って決め事がされる。決め事が幾つも幾つも重なって須坂が形として動きます。この決め事を実行するに『ふりをする』輩はあてになりません。寧ろこのような輩はいさぎよく一線から身を引くことをお勧めします。

 いま、須坂はこころ一つにして、5万4千須坂市民が市民のために自分の得意とする力や知恵を出し合って、須坂市の形を形成する要の時期であると思いますが如何ですか?


2008/02/22 (金)