故人を偲び頭を垂れる


 我が家の庭にも春が訪れたことを、梅の木は花を咲かせて私に告げる。毎年の繰り返しであるが、私は梅の木に「なんと忠義なことよ」と語りかける。かって、私は梅が咲くと、この花を幼い倅や娘と一緒に眺め、「春が来た」ことを教え、共に喜んだものであった・・・

 時は流れ、子どもらは親から離れして今は故郷におらず、唯女房とこの梅花を眺め入る。昨日来、飛来し囀ってくれる鶯が、過ぎし日々を思い返す私の心を慰めてくれる。

 梅の花を観る度に、今から四十数年も前になることだが、遊学中の私に高校時代の(漢文の)先生から頂く温かな励ましの手紙の一節に書かれていた漢詩を思い出す。手紙は電話やメールと違い、時代を越えて心に残るものであることを、改めて昨今は感じ入る次第也。
亡き恩師を偲んで、今日は漢詩を読み返そうと欲す・・・


古人無復洛城東
今人還対落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
寄言全盛紅顔子
應憐半死白頭翁
此翁白頭真可憐
伊昔紅顔美少年

2013/4/8記す。