高僧曰く、信州を評すれば・・・ |
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江戸時代に善光寺で修業した周防の僧「月性」が信州日を評している。 1.海遠くして塩辛きを好む。 当時としては、越後の海で採れた魚介類も生の侭では信州に運び入れることが出来なかった事情を考えると、魚介類は塩漬けされたものか干物であったと想像される。好むと好まざるに拘わらず、塩気のあるものしか入手できなかったのである。野沢菜や沢庵も保存食であることを忘れてはなるまい。電気冷蔵庫が普及するまで、長野県は脳卒中で死亡する人が、全国でも高かったことを忘れてはいけない。 2.茶木少なくして大茶を飲む 頷ける。特に北信地方の住民はお茶を嗜む域を遥かに超えてがぶ飲みする。私も人が訪ねてくると、湯呑み茶碗で凡そ5杯は必ず飲むことはざらである。かっては、お茶とともに野沢菜や沢庵を食べながら飲んだが、減塩が喧しく言われる昨今、御茶請けはキムチまで広がる至っている。 3.木多くして生木を焚く 月性和尚が活躍された時代は、囲炉裏が全てであり、囲炉裏端で煮炊きをした。薪も様々で生木も燃え出すと火力が強いではないか。生活の知恵であったのかも知れない。 4.田少なくして子多し 平地が少ない長野県は必然棚田にならざるをえない。当時の農業技術を考えると、収穫量も少なかったのではないかな。米が足りない分、雑穀を食べて凌いだこともあり、麦粉によるうどん、やきもち、ひんのべが考案され、蕎麦粉からそばも考案されたのだろう。 子が多かったことは別に恥ではあるまい。貧乏人の子沢山とみるか、家族型農業をするには労働力として人が必要であったのではないか。 5.水清くして面洗わず 高校時代に登山をした折、山小屋で先生に言われたことは、「山に来たら顔や歯を磨くな。顔や歯を磨かんでも死ぬことは無いだろうが、水を汚すことの方が罪だ。水は人が生活する里に流れるからな」と言われる意味のことを聞かされたことがある・・・ 6.仏多くして仏心なし 神はかまんどけ!仏はほっとけ!とすることが、祟りや罰(ばち)から一番遠いところにあると信じる風潮が信州にはいきづいている。と言って粗末にしている訳ではない。毎朝お仏壇にはご膳さんをあげるし、神棚の水を替える心はある。 7.理多くして事進まず 当を得た評論である。 流石に僧になるほどのお方である「月性」さんである。信州はおろか全国至るところを巡行されたに違いない。1から7までが信州独特のものであるかは断定できない。 |
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2008/07/11 (金) |