「国家百年の計は教育にあり」  (寄稿)

教 育 家 井ノ山 正 文



 法律事務所在勤時代 (笠井盛男先生の下で、私たちは共に机を並べて、志に向かっての日々を過ごしました。佐藤さんは・・・)に「俺は福祉国家をつくる」と仰っていたことを思い出しました。文中からは、その当時の志を保ち続けておられることを感じました。

 主権在民という新憲法の理念、地方の時代というコンセプトを具体化するという視点を背景に地方議会の役割を問い続けてこられたこと感服いたしました。何よりも有言実行の人であるということに大きな意味があると思います。

 私は、政治についての専門家ではなく、また行政職に就いたことはありませんので感想のみを以下に述べてみます。

 まず、議会にとって必要なことは「透明性」と「公平性」だと思います。「透明性」は、情報公開と相まって如何に適切に議会活動が市民に伝えられているかだと思うのです。当然、市の広報やインターネットなどによる情報提供もあると思いますが、フェイストーフェイスによる伝達が時には必要と考えます。また、「透明性」は市政に対する市民の関心を喚起することにも繋がると思います。「公平性」については、単純な数の論理から脱却し市政の創造的な方向を獲得するために必要な観点と考えます。また、会派を問わず内容によっては一致した取組みを行うことや、市民の利害が共通言語となるような視点が公平性を担保するのだと思うのです。

 地方を活性化することについては、地域のリソースをどのように活かすかがポイントだと考えます。森林資源を活かせる地域では、高齢者が「葉っぱビジネス」に取組み収益をあげています。また、「道の駅」で地域の農産物を直売し、地元の方や観光客が集まり始めた地域もあります。東京都多摩地区と隣接した山梨県丹波山村では、温泉施設と道の駅が一体化し、過疎化への対応を進めています。人が集まるには、そこに付加価値が必要な時代です。何よりも地元の生産者にとって、展望が持てること、持続性があることが大切なのだ思います。

 以前に須坂動物園のペンギンのことがありました。話題になったことを思い出しました。動物園では旭川の動物園がよく話題に上がりますが、ここも閉園寸前までいった動物園でした。しかし、生態展示という視点から工夫した展示方法を進めることで人が関心を持ち集まり始めました。近くに知り合いが働くレストランがありますが、厳冬期を除き多くの観光客が食事をとっていくそうです。また、店には地元の方が制作した染物、陶芸作品、木工品などがあり、食事の合間に買い求める人も多いそうです。「差別化」と「関連」がキーワードかと考えます。

 「地域通貨」という取り組みも人を繋ぐ活動になる場合があります。これは、自分の行った活動(地域の他者のために取組んだこと)が地域通貨として支払われるシステムです。例えば、高齢者のご夫婦である隣家の雪掻きをしたときに支払われます。或いは、買い物を頼まれて序でに買ってきたとします。これも地域通貨として支払われます。地域社会が相互扶助という考え方と具体性を持っていれば必要ないことかもしれません。しかし、地域社会における繋がりが薄れてきた現在、地域を如何に繋ぐかは地域活性化ということに関連する課題化と考えます。

 国家百年の計は教育にあり、と思います。これからの時代を担い、郷土を愛し誇りに思う子ども達が育つためには、教育に力を注がねばなりません。では、如何に注ぐのかということです。基本は、現場の先生方の「学級経営力」と「授業力」の向上と質の担保です。学校現場で起きている多くの問題は、この二点をクリアすることで解決できることが多いと確信しています。また、きちんとした理念に基づく学校マネジメントを行える管理職の存在も欠かせません。

 今、学校にはリスクマネジメントという発想が必要です。家庭、地域ときちんと向き合いながらコミュニテイースクールとしての機能も求められています。情報化社会、多様化する社会の中で、学校教育が担うべきことも多いのです。そして、将来を担う子ども達を育てていく為の具体性を持った取組が進められなければなりません。何よりも違いを持った人と人が共に生きていくための知恵を学べる場であってほしいと考えています。

 教育については多くの「方法論」が語られています。しかし、今必要なのは「本質論」です。なぜ学ぶのか、何を学ぶのかという問いかけを持ちながら、「教える人こそ多くを学ぶ」という日常が求められています。



平成25年3月24日 記