奇怪な体験


 湯舟の縁に手拭いを枕にして少年は湯を満喫しているようであった。きっと幼少のころから祖父が、親父がして来た姿を真似ているのであろうが、それが大人の真似でない仕草であった。
 
 うぬ?畳の上にゴミのようなものがある・・・
この文を打っていると誰かに見られているように感じた。ディスプレイを見ながら文を打っているが、どうもこのゴミが苦になった。否それよりも下から誰かが私を窺っている気がしてならなかった・・・

 「・・・仕草であった。」と、風呂紀行文を打って、更に変節を考えて一呼吸をしたその時、やおらゴミが動いたではないか?

「まさか?」と私は眼を疑った。

 誰かが僕を見ていると感じた相手は、何とこの「小さな蛾」であった。蛾は僕が見つめると止まったきり微動だにしない。まるで僕を窺っているようである。僕も蛾をジーとみている。

 にらみ合いが続いた・・・
 
 試しに目を離した。暫くするとどうだろうか、蛾は動き出したではないか!私は眼を疑ったが事実である。

 この小さな蛾は明かに私を窺っていたのである。命は図体の大小ではない。そこに意思があるかどうかが命の宿りなのであろうか。

 そう言えば・・・
 大学生のころの話である。下宿の4畳半で「ゴキブリ」がある夜お出まし賜った。ゴキブリを叩こうと私は新聞紙を丸めた。本箱の裏に隠れたゴキブリは、生き延びるために必死に私の憤りが治まるを狙って、生還しようと妙案を考えて居るようで、中々本箱の端から顔を出さない。

 本箱の中央に構えて私は「鶴翼の陣」を敷いた。どちらから出てきても言いように、新聞紙は二刀流であったが、ゴキブリは立て篭もりを考えたのか中々出てこなかった・・・・・

 にらみ合いが続き、私の「囮作戦」によって、片方から出てきたゴキブリは捕捉されたが、あの時はゴキブリが私を見ていた気がしなかった。例えるならば「かくれんぼ」をしていたとも言える。

 何故なら、かくれんぼは、眼があった瞬間にアウト(めっけ!)でしかない・・・
 今夜の出来事は、明らかに眼が会っていると感じたが・・・

 それにしても、奇怪な体験をしたと言えまいか!



2007/09/09 (日)