平成15年5月20日


須坂市長 永井順裕 殿

                          須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎

    合併特例法と須坂市の市町村合併に関わる意見書


 合併特例法の期限が2005年3月へと迫るなかで、須坂市も一つの結論を出さなくてはならない。国、県、市作成の「市町村合併」の資料綴を、今時を置いて再読するも須坂市5万5千市民の血税で禄を食む、市長、議員そして職員は、須坂市百年後を慮り、市民の評価に耐えうる須坂市の路線を描いておかねば子々孫々に申し訳が立ちません。我々は冷静に今回の政府が強いる合併の真意は何処にあるのかを見極め、後世に後悔を残さないためにも、茲に合併特例法と須坂市の市町村合併に関わる意見を具申いたします。


第1 政府はなぜ合併を強いるのか。

1.現下の、政府の財政状況の把握について。

 政府は景気対策として永年公共事業を、市町村を通してやってきました。しかし、最近この手法での景気対策は通用しなくなってきています。これは自治体自身が財政力をなくして来ているからです。政府が公共事業の予算立てをしても、公共事業が打出の小槌ではないことを知った市町村は敬遠するようになったのです。この点、須坂の総合体育館建設の凍結は、国家の財政事情を敏感に汲み取った、市長の賢い選択であったと評価いたします。

 さて、政府は幾つかの市町村を寄せ集め(合併)さえすれば、きっと公共事業が盛に行なわれ景気対策も叶うと目論みました。ところが最近大都市の住民は、地方交付税の平準化制度に異議を唱え、もっと税金は、大勢が住んで納税している大都市の住民のために使うべきだという声が強くなり、地方に税金を巾広くばら撒いていた自民党は、割を食い先回の総選挙で、都市部で惨敗をしてしまいました。自民党は急遽全国の公共事業それも過疎地での事業の凍結を下し、浮いたお金を都市部に移すこととしました。しかし地方都市に住む我々にとっては自民党様様であるはずです。政府が握る地方交付税の特別会計が成り立たなくなってしまっているのです。小泉内閣は地方交付税の財源を凡そ1兆円を減らしたい意向との流言さえある。換言すれば、財政危機に陥り税金の配分方法を変えなければ、政府・自民党は動きが取れないということです。竹中経済財政・金融担当大臣の言う経済財政運営の基本の1つ「地方の活力、地方の自立」とは、「何時までもあると思うな国の金」を意味することだと辻山教授は断言しています。そこで政府は、全国の市町村を3千から1千市町村に減らして交付税の総額を減額しようとしているのです。陶淵明の『帰去来辞』など読んだことのない霞ヶ関の上級官僚は、自分の故郷を捨て、お袋の味噌汁の味も忘れて、国民主権主義国家の本旨を忘却し、左手に地方分権を掲げながら、右手にはしっかりと中央集権国家の手綱を締めておるのであります。


第2 須坂が仮に小布施町や高山村と合併することによって、
    何が変わるのでしょうか。



1.市町村合併におけるメリットについて。

 市が作成した「市町村合併」の冊子に「市町村合併におけるメリット」として、@日常生活圏の拡大に対応したまちづくりを計画的進めることが出来るとあるが、須高の人々の大方は合併しても勤め先も変わらないだろうし、生活水準が飛躍的にグレードアップするわけではない。A行政サービス水準も維持・向上され、B行財政運営の効率化が図れるとあるが、専門職員の充実と謳うが、職員が合併の法的作用によって相乗して一晩で専門家となれるとは思えない。また「従来配置が困難または不十分であった分野に専任の職員を配する」とあるが、合併して職員が余剰になることを恐れて、予防的に職員の身分の確保でしかない。合併のメリットは、無駄な部分を斬るところにある。首長・三役、議員、そして職員に至るまで、合併によって重畳する部分のリストラは当然なされるべきである。私は合併することが全てデメリットに陥るとは思わない。しかし、職員の丸抱え保障は合併のもたらすデメリットである。市職員を生涯雇用するための手立てとして、自治体組織があるのではない。主役である市民の生活の安寧と市民の利便のためにある市組織であること、職員は総有的に市民との雇用関係であって、絶対的に生涯を保障されるものではないことを、法によって明確にせねばならないと感じます。


2.須坂市は合併によって何を叶えようとしているのかが見えない。

 前述した合併におけるメリットは、実は総務省や県が作成した冊子に掲げられているものであります。須坂市の未来を語ることが必要であるのに、須坂市が勘考した節はどこにも伺えません。単に自治体の機能や効率性を高めるためとの説明にほかならない。具体的に合併することにより、須坂の町がどのように変わり、市民の皆様方の暮らし向きは、しかじかこのように変わります等の説明がないのであります。

 市民も市民で、合併によって何が良くなって、何が課題なのかを積極的に知ろうとしない。情報が示されなかったから等の弁明は通用しない時代である。市民が情報を咀嚼するや否やの問題ではなく、須坂市が合併問題において持ちうる情報を市民に開示する手立てと、説明を十分に図られることを要望します。

 私はご承知のとおり「小さな自治体」を標榜しています。もはや須坂市は、経済の高度成長期のような「何でも市民の要求を聞き入れる」時代ではありません。税収が大きく落ち込んだ現状ではなおさらであります。仮に須坂市が合併を拒否し、国より地方交付税が今より3割方少なくさせられたら、自立の道を選んだ以上、その分須坂市の歳出や規模を3割押さえれば済む話ではありませんか。国家は国会や内閣でなく官僚が支配し、同様に須坂市は市職員が支配する将に官僚主義とも社会主義とも思える統治体制は排除されなければなりません。主権者たる市民の等閑のこころが、合併の本質を歪め、国家の基本的骨組みである国民主権主義体制の形骸化を助長するのです。市民は民主主義と恒久平和主義を守るためにも、合併に対するあらゆる角度からの行政府に対する、或いは市政に対する猜疑心は常に必要であると感じます。 

 合併の正体が見えない理由は、県も須坂市も政府から威圧的に下命されて合併を推進している話だから、自ら前向きに須坂活性化のビジョンから生まれる道理はないのです。市職員も常に5万4千市民と共にあることを、パブリックサーバントとしての使命を果すならば、須坂市の合併の是非を今このときこそ示すべきでないかと思います。




第3 為政者の心得とは、身命を賭して政を行ない、
    後世に悔いを残さないこと。



 思うに、須坂市は、どこの町と合併しても飛躍的に活性化するものでもなく、合併の経済効果に期待してはいけないと思います。何故ならば、合併しても須高の人口は一人足りとも増えない事実であります。合併しても人々の暮らし向きに何らの変化はあり得ないことです。この点を理解しないで、須坂市が政府命令の須高の市町村合併を図り、仮に新生須坂市を誕生させても、新生須坂市は大きな負荷を負うこととなるは必定です。寧ろ小回りの効く、市民の意志が行政に映し出すことのできる自立の道を選択すべきではないでしょうか。明治維新の折、須坂藩は幕府の外様である柵ゆえに何も出来ませんでした。当時幕府の外国奉行であった須坂第13代藩主直虎公の時代を見据えた言動も、あたら命を絶たせてしまったではありませんか。

 今須坂市は国家に対して自由にものが言えるまちであります。私は、小布施町や高山村を黙殺しろという論理では決してありません。彼らとの共生の手立ては外にあると確信いたしております。

 しかし、合併によって国からアメを与えられる期間は、たったの15年間でしかありません。人の15年はとても長いが、須坂市にとっての15年間は歴史の中では瞬(まばた)きに等しいのです。悠久の時の流れを見据えて合併を論ぜねば、須坂市は後で必ず後悔をすることとなる。これは小布施町然り、高山村亦然りと心得えます。

 而して、須坂市は市町村合併を敢えて15年間据え置いて、その後に政府の出方をみて判断すべきであると、市長に進言申し上げます。