被後見人の人権擁護に関わる一考察



 私は成年被後見人の人権を真に尊重し擁護してあげることに重点を置くならば、成年被後見人の夫々の症状等を勘案することが重要であって、一律的法的措置には馴染まないものであり、個別的な選挙権の制限はあっても、止むをえないと思います。

 人として生れたその瞬間に法律的には、すべての人間は権利の主体であって決して客体にはなりえません。況や国家が成立する以前から、人権としての権利を享受するものであり、国家と言えども基本的人権で保障されている権利を奪うことはできず、本人の死亡によってのみ、その権利は喪失するものとするのが、現代の人権に関する考え方です。
 ところで、選挙権は生まれながらに享有する権利として、人権と同等に考える権利なのでしょうか。成年被後見人制度を財産の保護を目的とする制度と捉えるならば、民法の権利能力と行為能力の時間差が介在します。財産の保護であれば未成年の規定で成人になるまでは一律に保護されます。成年になることによって成年被後見人制度が適用されます。この時期と投票権の年齢が一致するために、論理が混同された解釈がなされていると感じます。

 成年被後見人が@成人以降の法律行為の保護規定であること。A成年被後見人は後見、補佐、補助と判断能力に応じて三段階に区分されること等。を勘案すれば成年被後見人制度と、国民であるがゆえに与えられる選挙権は次元の違う権利であるように思えます。人権を真に擁護する法ならば、選挙権については一律に束ねるのではなく、個別的に夫々の知的能力を評価して司法判断されるべきもの思います。今回の法律改正では一律に選挙権を付与するようですが、このことが真に成年被後見人である人々の人権擁護につながるのかいささか疑問です。この法改正によって、被後見人の投票の権利は、真に保障されるのか、投票の秘密の厳格性は保たれるのか、殆んどの被後見人が投票する不在者投票における、「外部立会人」の公平性や中立性、施設職員による投票の方法や候補者の説明による候補者の特定過程、候補者を記名して投票箱に入れる行為等が、とても信憑性があるものとは思えません。

 人権の享有と成年被後見人制度に基づく人権の保護は、私においてはニュアンスが違うように感じます。人権の享有の線上に投票権があるとすれば、納得がいくのですが。成年被後見人と国が和解したことが余計に思考を混乱させます。大切なことは社会的に弱い立場にある人の人権を、徹底的に護りきれる精神が根底にある制度であるかどうかに尽きると思います。




平成25年7月31日記
須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎