行政裁量権と恣意的裁断の違いについての一考察

                               
須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎



 田中眞紀子文部科学相は、2013年度に大学の新設を予定していた「秋田公立美術大(秋田市)、札幌保健医療大(札幌市)、岡崎女子大(愛知県岡崎市)の新設を不認可とする」と久々にフラッシュを浴びて、TVカメラの前にたって得意満面に記者会見を行ったが、文科相は適正手続の意味と重みを知らないのでは。

 このことは、案の定国民の顰蹙を買う内容であった。行政庁に対する申請は、余りある無駄足を官庁に運ぶ事前協議のための時間と、労力と様々な書類の作成等の巨費を投じて進められるものである。況してや大学の新設申請手続きは、申請者と行政機関との下打ち合わせや様々の書類の不備を補正すると等、行政手続きに則って進められたことが容易に想像できる。この申請書類が整っていればこそ、前任者の大臣が審議会に諮問したことを新田中大臣は無視してはならない。

 大学設置・学校法人審議会は「新設を認める」と大臣に答申されたものを、大臣の裁量権で「不認可」としたことは、最早これは法治国家の行政手続ではなく、極めて大臣の独善的な偏向裁定であって、権限踰越若しくは職権濫用であるとする国民の謗りは免れないだろう。場合によっては本件は訴訟にまで発展する含みも覗える。

 記者会見で大臣は、「今後の大学設置の認可のありようについて、将来のために全体的に抜本的な見直しをすることを決めた。」と発言し、「大学の問題は要するに、設置審そのものについて抜本的にしっかり見直したい。」とし、その理由として「大学の数が全国で約800あること。」更に「量よりも質として、教育の質。大学教育の質自体がかなり低下してきている。」と指摘。「運営も、これだけ数があると、学校同士、大学同士の競争も激化していたりして、運営に問題がある。」とし、秋田公立美術大、札幌保健医療大、そして岡崎女子大については、「3校とも。短大を廃止して四年制にぜひ新設をしたいということですので、これは残念ながら認可するわけにはいきません。」と結んだ。

 然し大臣の一連の発言は、大学の改革論等の総論を課題としながら、いきなり3大学の不認可に飛躍し、恰も「今回の新設申請した3大学は、質が低い大学」と決め付けるようにも受け取れる内容である。これは著しく3大学の関係者、在学生や志願者を侮辱した発言ではないか。これでは折角の改革論も水泡に帰してしまう。

 今回の大臣の極めて恣意的な裁定は、「教育改革」や「大学改革」の総論提起であって、だからといって大学の新設を予定していた秋田公立美術大、札幌保健医療大、そして岡崎女子大の新設を不認可とするとことは、余りにも論理の飛躍でしかない。所管省と合議をしながら、適正なる法手続きを踏んできた申請者は「現行法適用の優先」や「大臣の鶴の一声によって法律や要項を変更できない」と主張している。議会制民主主義の本質を含み、仮に法律が変わっても申請時における適法受理された申請は『不遡及の原則」等によって保護されるべきであるとする主張は一理ある。

 今回、田中文部大臣は大臣権限としての認可裁量権と事柄を履き違えた恣意的独断を混同された結果が、国民から非難を浴びた結果となったのではないか。大臣の言葉は重い。様々な人々に悲しみを及ぼすような言動は、慎重なうえに慎重を求めたい。速やかに不認可を取消して新設認可を発し、心ならずも傷ついた人々に素直に詫びることを忘れてはならない。大学の質の見直し論議も大切だが、国民から大臣の質も落ちたと言われないように努めなくてはならない。



平成24年11月5日記す