青春の追憶

文明の利器として

 携帯電話が庶民の手元になかった時代に、アマチュア無線はこのうえない便利なものであった。日本中はおろか世界中と交信が出来たからである。

 私のアマチュア無線資格を取得するに至った動機は、ある日仕事の関係で人里離れた林道の坂道を走行している時であった。1ヶ月ほど前に地主に案内されて分け入って走った山道を、今日は独りで記憶を辿りながら山中に入った。

 今将にカーブを曲がろうとした先に、道を横断して「あら縄」が張ってあった。「何事か?」と思って車を停めたが事情が掴めない。縄の先を確認するために、縄をくぐって林道のカーブを曲がった途端、私は「道が無い!」と声にならない声を発した。一本の「あら縄」のお陰で命拾いをしたのである。先だっての雨で林道は崩落したようで、林道は数十メートルの崖になっていた。「若し、あら縄が無かったならば・・・」と思うと背筋が寒くなった。

 絶体絶命だ!道を這うようにして車に戻ったが、気が動転していて崩落した崖に車が滑り落ちないか不安も焦った。片方は山、片方は崖でしかも林道は狭くとてもUターンなど出来ない。しかし、この場をたとえ1mでも早く立ち退くことが急務である。それにはUターンの出来る所まで山道をバックで登らなければならないが、坂道のバックは難しく崩落した崖に車が滑り落ちないか不安で運転も思い通りに行かなかった。
今となっては詳しく思い出せないが、Uターンも叶い這う這うの体で逃げ帰ったが、命が縮む思いが影響したのか暫くは恐怖感がつきまとった・・・

 山中に入って万が一の場合に、里の誰かと連絡を取る方法は無いものかとあれこれ考えた。そこで浮かび上がったのが「アマチュア無線」であった。無線屋に行って無線機の購入方を相談すると、なんと交信には「国家資格」が必要であるとのことであり、早速資格をとることとした。直近の試験日に向けて猛勉強をして資格をとり、早速一通りの設備を整えたが、無線機はアンテナがなければ用を無さない。そこで飛び切り上等なアンテナを屋根の上に備え付けて、携帯無線機を常に携える生活が始まった。アマチュア無線をしてみると、こんなに便利なものは無かった。山中に独りで分け入っても、里の無線仲間の誰かと交信できるので怖くはなかった・・・

 携帯電話は実は超小型無線器なのである。しかも「アマチュア無線国家資格」が無くて扱えることもあって爆発的に普及したものである。必然私も平成11年頃に携帯電話に飛びついた。当初は携帯電話は山岳地域の長野県では、まだまだ不感地帯が多くあたので、山中に入るにはアマチュア無線の方が便利であった。そのうち携帯電話の不感地帯も徐々に解消されて無線機に「火を入れる」ことも無くなった。もはや屋根の上のアンテナは無用の長物と化していた。

 最近、屋根も痛むことを考えて撤去せねばと思っていたが、愛着もあって思い切れなかった。然し漸く決心もできたので昨日アンテナを撤去してもらった。屋根の上のアンテナを地上に下ろして見て、あまりの大きさに今更ながら驚いている。私の万が一の時に家族や無線仲間とつないでくれた。しかも設置して31年もの間、風雪に耐えて我が家族の安否確認をつないでくれたアンテナに、唯々深く感謝をしている。

2014年4月17日記す。