檄 今議会の流れを変えずんば

【須坂は今歴史的転換期か・改革とは何か 】

 この3月議会で、ごそまつな複数の議員が、市職員の政策ネタと作成した一般質問原稿の提供を受け、恰も自分が作成したかの如く「一般質問」として登壇し演説した。某議員に至っては「再質問が流行だから、俺も再質問もしてみたい。」と厚かましくも再質問の原稿を職員に求めたと言う。

  因みにこれらの議員は再質問も厚かましく、しかも職員の書いた原稿どうりに行っている。礪議員らは質問通告書の内容と本人の原稿用紙と弁論内容から「さくら」をすばやく見抜いた。当選して三年を過ぎるも、議会のお忘れ物はどこまで議会を冒涜する気なのだろうか。こんな議員を支持する人たちは、彼が議会で「あるまじき、さくら、やらせ、を恥じと思わず、しがらみや既成の概念にとらわれた生き方しかできない行動をしていることを知っているのだろうか。

怖いのは、腐心しきったこれらの議員も委員会や議会で議決の1票をもち粛々と1票を投じて、結果として旧態已然の須坂が横滑りをする。議員のバッジを付けることに特権意識と名誉を感じ、「議員」と呼ばれるに快感を感じている。君は許せるかこんな腐りきった議員を!憤怒をもって「議員としての資質がない者は、即刻議会を去れ」とがなりたくなる。

堺屋太一氏(自民党メールより)によれば「明治維新政府の中枢を担った人々は、旧幕府時代の政治家や官僚ではなかった。維新の推進力となった薩長の上層部からの横滑りでもない。中央政界にはもちろん、地方行政にさえ携わったことのない階層の出身者だった。前時代のしがらみや既成の概念にとらわれることなく、理想的な近代組織と新式手法が採用できた。大改革は、未知と未経験を恐れず、新しい理想と素人の知恵を生かすことからはじまるものだ。明治の志士はそれを見事にやってのけたのである。」とする。

須坂は市町村合併で生き残らなければならない。合併を日本国内の行政区画の変更くらいの感覚に、若し国民が馴らされたとしたら、それば亡国への階段を昇り始めたことなる。真剣に郷里須坂を考えなくてはならない


                            平成143月12
                            須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎